第二十三話 ゲームの達人

関東あたりでは、週末の夜、キャビンの照明が点灯されているヨットを結構見かけるらしい。なるほど、日本にもそういう使い方をしている人が増えてきたのか、と思いますが、それは全国的に見れば、まだ少数ではないかと思います。多分に、マリーナ設備の問題が大きいかもしれません。それは、今後の検証を待つ事になります。

それは兎も角、ヨットを動かす前提で言うならば、レースするか、クルージングに行くか、セーリングするか、この三つでしょう。各ジャンルもその中身にはバリエーションがあります。しかし、共通して言える事は、ただ、楽しさを求めるというのは、ちょっと違うのではなかろうか?

楽しさというのが、ある特定の場面とかを指すのであれば、それを求めていろいろ行動するわけですが、ひとつ大事な事は、物事は常に変化するという事ではないかと思います。つまり、ある特定の楽しい場面も、あるいはその逆の苦しい場面も、常に変化し、そのままの状態ではいられない。
という事は、求めて、幸い手に入れても、そのままの状態では居られないという事になります。

そうなると、時々楽しいという事になります。その時々がどの程度かは解りません。もし、そうなら、求めて、得ても、長続きはしないわけで、また、楽しくない場面やどちらでも無い場面もやってくる。
だったら、しない方がましなのか? という事になりますが、考えてみれば、ヨットで無くても、何をやっても、同じではないかと思います。

だから、生きている限りは何かをやるわけで、そして、何をやっても変化するものであるし、ある特定場面だけを得る事はできない。しかし、逆に、もし、ある特定場面にずっといられるとしたら、これはまた人間、そこに慣れて、飽きてくるんですね。実にややこしい。

だから、どうしたら良いかと考えますと、ある特定場面を求めるにしても、変化していく事を受け入れていくしか無い。そして、それを面白くする事ではないかと思います。その変化を面白さとする為に、知識を得、技術を得、それらを成長させていく事によって、変化は上昇方向に向かう。つまり、かつての楽しくない場面は、今の楽しくない場面とは違うわけで、上昇方向にある限り、それは何らかの面白さとして捉える事ができなくもないのではなかろうか?

かつて強風で恐怖を感じた事も、その後の知識や技術の向上によって、違うものに変化させられる。微風時のセーリングも、かつて心地よかったセーリングも、みんな向上する事によって、かつてとは違うフィーリングに変わっていく。それが面白さなのではなかろうか?

だから、何かをする時、楽しさを求めない方が良い。否、求めても良いのだが、変化を受け入れる姿勢が必要なのかもしれません。その変化の中に、成長、進化、向上みたいなものが育成されていけば、それを面白さとして捉える事ができる。そして、それは、楽しさ以上の強いフィーリングをもたらすものではないかと思います。

こういう行為を名付けて、ゲームと言います。ゲームを楽しむコツは、そのゲームに上手くなる事であります。レースでもクルージングでも、セーリングでも、そのゲームに上手になる事。これ以外に、そのゲームを楽しむ方法は無いのではないでしょうか?ピクニックセーリングにでさえ上手くなる必要があると思います。それはセーリングの腕だけでは無く、全体の運営とかですね。

楽しめない人はゲームの下手な人です。例えセーリングの腕が上手であっても、全体の運営が下手かもしれない。自分の使い方に合わないヨットであったり、メインテナンスをせずに、いつも不良箇所が出たり、いろいろ不都合が多い人です。上手な人は、例えセーリング技術がたいした事無くても、全体の運営が上手な人でしょう。

ヨットの使い方に上手になる事。それはゲームに上手になる事であり、仕事や家族や他の事とヨットをうまくアレンジできたり、天候を見てうまくアレンジしたり、友人を誘って、うまく遊べたり、保管場所をどこにするとかも含めて、上手に管理ができる事。そのうえで、セーリングに上手になっていく。それがうまくなればなる程に、全ては上昇方向に向かい、ヨットを楽しむ事ができるのではなかろうかと思います。

その為に、微風時や強風時はどうするとか、そういう事も考えます。そうやって何シーズンも過ぎていきますと、その違いは桁外れになっていくのではなかろうかと思います。だから、物事を本当に心から楽しむというのは、決して楽にはできない。しかし、面白くする事はできるんだろうと思います。いろいろ楽しそうな事を考える事も必要で、それを採用しつつ、でも、変化していく面白さを常に携える事が本当に楽しむコツではなかろうか?

この前のTALKで小型ビデオの事を書きました。これは、楽しそうな演出としておおいに役立つのではないかと思い、是非、やってみたいと思います。しかし、これもいつまでも同じ事をしていたのでは、そのうちつまらなくなります。だから、そこにもゲーム上手が求められます。工夫が求められます。それが面白さを演出していく事になると思います。

楽しさ、つまらなさ、快感、恐怖、これらはみんなその場面だけの、言わばミクロ的見方で、それらも十分味わいつつ、それら全体を流れとして見る事はマクロ的見方になり、そのマクロ的見方において、上昇方向に向かわせる処に面白さを得る。これが重要な処ではないかと思います。従って、いつも、ミクロとマクロの両方を見ながら、ゲーム上手になる事。それが自分や周りの人達を楽しませる事になると思います。但し、上手というゴールでは無く、プロセスが大事だと思います。

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