第二十五話 性能+?

ヨットの性格とか性能が大いに面白さに影響を与える事は間違い無いと思います。そのヨットが持つ、スピード性能、波あたり、滑かさ、安定性、レスポンス、等々は、そのヨットが持つ以上の事では、どんなに乗り手が工夫しようとも、超えられるものではありません。だから、性格、性能は重要だと思います。

しかし、それだけが全てでは無い事も事実で、それは乗り手がどういう具合に遊べるかというソフトが必要で、この比重も大きいと思います。だから、性能が高いのは良いが、高いだけでは駄目で、そのソフトいかんによっては、違う性能が求められる事もあると思います。

ソフトはいかにそのハードを使いこなせるかになると思いますが、ただ、そのヨットの性能を引き出すという事だけでは無く、自分が面白さを感じ無いといけませんし、自分の肉体もハードのひとつではありますが、その肉体の限界まで能力を引き出す事が、面白さとは限らないし、結局は、ヨットというハードと自分の肉体という二つのハードがあり、そして、それを使う人間側の頭脳というソフトがあり、そして、このソフトとハードを繋ぐ、感情というものがある。

レースだったら、感情は脇に置いといて、勝つ事、これは頭脳を優先して、ハードを使いこなす事が優先されるかもしれません。しかし、それ以外のセーリングを遊ぶとか、クルージングを遊ぶとか言う場合は、感情が複雑に絡んでくる。

結局は、感情が面白いという処で、ソフトとハードのバランスを取る事になります。それはハードの性能を限界にまで達する処かもしれないし、或は、ずっと下の方かもしれません。でも、どの位置だろうと、感情が面白さを得ている事が遊びの本質でしょうから、そこを考える必要はあろうかと思います。

ただ、感情は、また厄介で、いろんな感情があって、それを自分でコントロールする事もできず、頭脳が負ける事が多い。微風で微風用のセールを上げる事で、セーリングが快走になるかもしれないと頭脳が考えても、感情は面倒くさいな〜と思う事もあります。

つまり、我々が面白さとか、充実感とか、そういう事を得たいと思うならば、感情の赴くままでは達成できないかもしれない。そこで、ひとつその改善策はどうしたら良いのか? 怠惰な気持ちがあるうちは、面白さなんて経験できませんから、その怠惰な気持ちを無くさねばなりません。でも、頭脳では勝てないというのが現実です。或は、強い意思を持てるか?それには、強い動機を育てる必要も出てくる。なんだか、これも面倒くさそう。

それで、ひとつ思いついた事は、自分の感情が今どうなっているかを知る事ではないかと思います。何を考え、何を感じているかを知る事。それだけで良いのではなかろうか?頭脳は微風用セールを上げろと言い、感情は面倒くさいと感じていると知る事。それだけであります。

そういう事を続けていきますと、自分の状況が明確に解ります。そして、それでどうするかと考えるようになると思います。そのままで良いと思うかもしれませんし、このままじゃいかんと思うかもしれません。でも、いずれにしろ、新しい方向性が見えてきて、納得行く方向に向かうのではなかろうか? どういう結論にしろ、何となくだらだらと言う事が無くなるのではなかろうか?

そうなると、気持ちの整理がついて、次の段階に進む事ができる。自分はヨットをどうしたいのかという事が明確になっていくのではなかろうか? この段階を超えた時にこそ、面白さを自分で演出する事ができるようになって、本当に遊ぶ事ができるのではなかろうか? ひと皮剥けましたと言う感じかな? 明確さを手に入れて、割り切る事ができて、自分が何をしているかが良く解っている状況ですかね。 必ずそうなれるという保証はできませんが、多分。

次へ       目次へ