第四十三話 規制緩和

規制緩和とか言う言葉が流行ってますが、何でもかんでも緩和すれば良いわけじゃない。規制が無くなる事で、せっかくの面白さが失われる事もある。確かに、無駄としか思えないような規制もありますが、あるべき規制もある。

小型船舶では、法定安全備品が義務付けされます。それはそれで良い。しかし、外国品は駄目とか、それも、わけの解らない外国品なら兎も角、ヨット先進国でOKとされる備品なら、認めても良いんじゃないかと思います。ここらの選択は、もっと自己責任を出して良いのではないか?国産にしたい人はそうすれば良いし、欧米の備品が良ければそれも選択できる方が良い。まあ、いろいろあるんでしょが?

ルールはあった方が良い。但し、レースにおいてあまりにもガチガチルールを作ると、みんな同じヨットになってしまうし、発展も望めなくなる。だからと言って、ルールを緩和しすぎると、危険なヨットが出てくる事もある。そのバランスは難しいです。そこが人間の知恵を絞る処でもあります。多分、人間の知恵とは、そういう処に発揮する為にあるのかもしれない。それが無くなったら、動物の世界と同じではないか?弱肉強食の世界でありますね。

ルールを良く理解して、最大の効率を求める。そこにも面白さがあります。ヨット自体にもルールがある。上りはこうで、下りはこう。ルールと言いますか、そういう物理的法則はルールの一種だと思いますが、そこに向かって、新しいアイデアを生み出す事もあります。そういう事が面白さにもなるし、発展もある。何でもできるは良いようで、面白さには欠けていくかもしれない。これは便利は良いとするのと同じで、便利を享受して、面白さを失っては元も子もない。

ルールがきついと、自分で考えなくなる事もあります。何かがあると、ルールのせいにしてしまう。でも、ルールが無いと、どんなになるか解らない。完璧なルールは有り得ないが、でも、知恵を絞って、よりバランスのあるルールを造る。そういう意味では、今日、世間の一部で言われる規制緩和とかは、ちょっと違うかなと思わないでもありません。

バランスのある規制緩和、何の為の規制緩和かを明確にする。つまりは、議論の前提がどこにあるかを明確にしないと、緩和は闇雲に良い事と誤解してしまう事が多い。それは緩和という言葉のイメージがそうさせる。これは怖い事だな〜と思います。

イメージは人の頭を硬直させる。レースのイメージ、セーリングのイメージ、いろんなイメージを無意識に持ってしまうので、全ての見方が硬直してしまう。偏見に満ちてくる。これは私自身も注意しなければならない事ですが。

それで、規制というイメージ、緩和というイメージ、そんなイメージを払拭して、できるだけ理論的な考察が必要かなと思います。かといって、理屈だけでは人間社会は窮屈になるので、理論とフィーリングをバランス良く。そこが人間の知恵ではなかろうか?自由競争にしたら、速いものが勝つ。勝てないのは努力が足りない、自己責任だとか言われても、それでは、あまりにも人間としての知恵が無さすぎるような気がします。

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