第四十七話 セーリングが普通になると

何やかんやありますが、でも、セーリングする事が普通の事として、何の違和感も無く、気楽にやれるようになりますと、自然に、先に進む状況が生まれてきます。普通の事を普通にやるだけです。その普通の中に、進化を自然に求めます。

もうちょっとこうしたらどうだろうか? 微軽風の時に、もう少し走らせるようにできないか? 強風では、もうちょっと安定させられないか? もうちょっとという気持ちが、工夫を促し、進化を遂げる。そんなこんなを続けていきますと、本人はいたって自然のまま、普通と感じていながら、周りから見ますと、ベテランになっている。

普通を楽しみ、常に、普通よりちょっと上を楽しむ。そのちょっと上がやがては普通になり、また、ちょっと上を楽しむ。そうこうしているうちに、工夫も限界が来て、ヨットを買い換えたくなる事もある。それはそれで良い傾向だろうと思います。何故なら、自分のスタイルが確立していて、何をどうして、どう味わいたいかが明確に解っているから。

セーリング自体は特別のことかもしれません。スペシャルな体験なのかもしれません。でも、それが普通になる事は、自分の中で、自分の物になっているからだと思います。身に付いたとも言えます。だから、少し上を狙えます。もし、そこに留まるなら、普通が普通のままで、面白さは薄れていくかもしれませんね。

しかし、少し上がどうしても見えてくる。尽きないんですね。だから終わりが無い。終わりが無いものには、無闇矢鱈と結果だけを追うのはちょっと変であります。だから、プロセスを楽しむ。

ヨットとセーリングが自分の身に付いたら、少し上を目指しながら、簡単な話、ここをもうちょっと等の試行錯誤を楽しむ事になります。解らない事だらけの時は、この工夫が大きな負担となってきますが、解ってくると、その工夫が面白さになる。だから、いつも、少し上を狙う。

本を読んで理論を仕入れるのも良いが、一気にはるか前方にまで進んでしまうと、なかなかうまくいかない事もある。だから、理論は読んで、忘れ、また読んで忘れ、実践しながら、徐々に進む方が良いのかもしれない。そして、そのうち、読んだ理論が忘れずに身につく事がある。忘れた理論は今は必要無いからかもしれません。

太平洋を横断するのは、特別の中の特別であります。そんな事は普通はやりません。一部の冒険家に任せて、スペシャルなセーリングが、自分の中で普通になる事の方が重要です。

どうもヨットやる方は、いつかはロングクルージングへの憧れをお持ちのようです。それはそれでおおいに結構でありますが、それを実現させる為には、時間とエネルギーとヨットと海とセーリングと、いろんなノウハウが必要になります。忙しい人は行けません。ノウハウが無い人も行けません。
だから、今、できる、忙しい人でもできるセーリングをする事が重要ですし、デイセーリングがその
出発点でも良い。

或は、散々クルージングをされてきた方が、もういい、とデイセーリングを最終点にされる事もある。デイセーリングは出発点であり、最終点でもある。セーリングに関する全てがここに濃縮されているんですね。 

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