第五話 へぇ〜

誰もが、何か楽しい事はないかと探します。でも、そんなものは、そうは転がっていない。もし、あっても、そうしょっちゅうじゃないから楽しいんであって、それがしょっちゅうになったら、楽しくも無くなる。だから、楽しさなんか求めない。その代わり、面白さを求める事にします。

知らない事を知ったりしますと、へぇ〜そうか、とちょっと嬉しくなります。これは楽しいわけじゃない。むしろ、面白さの方だろうと思います。特に、多くの人々が気づいていない事なんか、或は、世間で常識とされる事なんかの反対の事とか、本当はこうだった、なんて話を知ると、へぇ〜が強くなります。

そんなへぇ〜を求めて、否、求めてもどこにあるかは解りませんが、だから、より多く体験して、偶然かもしれないへぇ〜を味わう。それが面白さではなかろうか?

求めれば、形を持つようになり、形があれば、全てが整わないとその形に出会えない。その形を整えるのが自分だけの力であるなら、努力すればそれで良いのでしょうが、あいにく、セーリングには、そんな事にお構い無しの風がある。だから、求めず、ただ、準備さえしておけば、そのうちへぇ〜に出会えるのではなかろうか?

要は、興味を持って、セーリングに意識を置いてさえいれば良いのではなかろうか? それを続けられた人が、そのうち、”へぇ〜” を得ていく。それを得たら、ひとつレベルアップ。その要領を得ていくと、へぇ〜の数が増えていく。

それが増えたからと言って、何にも無い。でも、心の豊かさとは、そういうものではなかろうか?

最近、たまにですが、歴史に関する本を読む事があります。それで、へぇ〜と思う事がたくさん出てくる。すると、もっと真剣に読みたくなります。それらを知ったらからと言って、何かの役に立つわけじゃない。でも、役に立つから読む、立たないから読ま無いという事では無く、ただ、面白い。
それで十分なんだろうと思います。

ヨットを堪能するという事は、ヨットについて知る事、セーリングを堪能するには、セーリングについて知る事、堪能する為に知る事が必要なのでは無く、その知る事そのものが、堪能する事ではなかろうか? へぇ〜 そうだったんだ。 と思う時、何だか嬉しいです。

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