第八十一話 解るという事

ヨットについては、各人がいろんな夢を描きます。それは多くの場合、ある楽しさのイメージだろうと思います。それはそれで良いのですが、現実にセーリングをしますと、そこにセーリングという行為があり、それがいつも横たわる。そして、多くの場合、セーリング自体に夢的なイメージを持たれる方は少ないのではなかろうか?

セーリングはあくまで何らかの事を楽しむ為の手段に過ぎなくなる場合は少なくないと思います。走る為の手段であり、移動の手段であります。しかし、ひとつ強調したのは、セーリングそのものを遊ぶという方法もあります。セーリングそのものを目的とするという事です。

それがデイセーラーの一番の楽しみ方ではないかと思います。同じ様で、実は、目的意識が異なります。それ程知識や技術が無くても、セーリングはできますし、移動もできます。しかし、セーリングを遊ぶという場合、いかに走るかがテーマになると思います。タッキングひとつとっても、舵操作やシート操作のタイミングによって、いかにスムースに無駄なくタックができるか? そういう処に面白さを感じるかどうか? うまくやれば、短い時間で、ウィンチ操作もあまりする事なく、しかも、実に楽にできる。そういう滑らかな操作に面白さを感じる。

このタイミングがバラバラだったら、ウィンチは何回転も、しんどい思いをして回す必要もあります。それでも、タッキングができる事には変わりない。

誰でもセーリングはできます。でも、セーリング自体を目的に遊ぶという行為は、セーリングについて、ヨットについて、より深く理解して、より自分のセーリングの質を高めようとする遊び、そこに面白さを感じる遊びです。それは速いか遅いかというだけではなく、セーリング全体を洗練させていく事が目的になる。それによって得られたフィーリングはいかほどだろうか?

デイセーラーのセーリングは、まさしく、このセーリングの質を洗練させていく遊びだろうと思います。それがレースである必要性は無いわけで、より知識を得て、試行錯誤をしながら、自分でその上達ぶりが感じていける。よりスムースなヨットの走りと、よりスムースな自分の動き、その質を問う。自分のヨットが良く解って、セーリングが良く解る。うまく行く事もいかないのも、それが解る必要がありますし、その為には、そこに意識がなければならないと思います。

これは目には見えない質に対するフィーリングです。これでゲストをもてなす事は無いかもしれませんが、解る人には解りますが、自分自身をもてなす行為です。これには終わりがありません。

誰もが、セーリングは奥が深いと言われます。しかし、その奥深さを求める方は少ないかもしれません。セーリングが一通りできるようになったら、その質をもっと洗練させていくセーリングを楽しんでも良いのではないでしょうか? それがデイセーリングの醍醐味なのだろうと思います。

もし、自分のセーリングが、少しづつでも洗練されていきますと、どんな感じでしょうか?どこかに行ったり、宴会したりの楽しさもありますが、それとは違う質を感じる事ができます。レースをする方も同じような意識はあると思いますが、ひとつ違うのはそれが勝つ為であり、目的がちょっと違うと思います。質を問い、そのフィーリングを味わう。それがデイセーリングです。それはセーリングが解るという事だろうと思います。

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