第十九話 デイセーラーセーリング

デイセーラーはセーリングの探求を通じて、セーリングを堪能する事が第一の目的です。それを気軽に、リラックスして、でも、集中力を発揮しながら遊ぶわけで、これはキャビンで宴会するのとは別の次元の遊び方です。クルージングやピクニックとも違う走り方です。

人にはそれぞれの考えがあり、価値観がありますから、どれが正解とは言えません。どっちが好みかという問題です。ただ、私的には、宴会も楽しいが、セーリング探求という軸があるからこそ、その他の楽しみ方も活きてくると思っています。

クルージング艇はクルージングをする事によって活きてくる。レーサーはレースする事によって活きてくる。それぞれが違う目的を持っています。しかし、いずれも宴会等が主役になる事は無いと思っています。それぞれではありますが。昔、もう20年以上前ですが、大きなキャビンで、これなら別荘としても使えますと言いながら、ヨットを売っていた事がありますが、しかし、現実には、別荘として活かせる方はひとりもおられなかった。それで、必然的に動かないヨットを増やしてきた感もあります。

欧米人はそういう使い方も少なく無いようですが、でも、日本人的では無いような気がして、それで、デイセーラーというジャンルに着目してきました。セーリングの探求を主軸にした方が良いのではなかろうか?それも、一日に2〜3時間で良い。しかし、その時間は濃厚な時間です。その他の余った時間には、コクピットで寛ぐ事もできます。その寛ぎは、濃厚な時間を過ごした後だけに格別なのです。

もちろん、セーリングのレベルは各人によって異なります。それは各人各様で良いのですが、まずは、その方向性をもって、取り組んでみる事で、少しでも面白さがわいてくれば、先に進む事ができます。まずは、最初の面白さを味わってみる事が必要だろうと思います。

のんびりセーリングができれば良いという方もおられると思いますが、それで、10年とか長期に渡るセーリングが楽しめれば良いのですが、どうも無理があって、それだけでは長続きしないのではなかろうかと思ってしまいます。

だから、セーリング探求の薦めです。これを通じてセーリングの面白さを手に入れながら、時に応じて、ゲストとの集いや宴会やクルージングを織り交ぜていく方が最も面白い演出になるのではなかろうかと思います。

何故、ヨットを始めたのか? いかなる目的であろうと、そこにセーリングが無いわけは無い。どこまで探求するかは自由です。上手くなる事は面白いのですが、上手くなったという結果が面白いだけでは無く、上手くなる課程こそが面白さだろうと思います。

デイセーラーは、クルージング艇とは違って、より良いセーリングを求めたヨットです。その分、キャビンを犠牲にしたりしています。だから、自分とヨットとの関わりにおいて、何が主なのか? 何を最も楽しみたいのか? それで答えが出てくるかと思います。何事も意識的である事が全ての始まりなのかもしれません。そうしないと、長年やってきても、一体、何をしてきたのかと後悔する事があるかもしれませんから。

それで、再び、デイセーラーはセーリングをシングルで探求するにふさわしいヨットです。それが主軸です。もちろん、他の事も何でもできます。でも、セーリングを楽しむ事が主軸であるという事が重要なコンセプトなのです。

そして、そのセーリングは簡単から入って、徐々に自分のレベルで引き上げていく。大雑把から繊細に、そういう遊びです。セーリングに関して言えば、その操作において、デイセーラーは最も容易だろうと思います。しかし、自分のレベル、知識とか技術、感知能力等を上げていけば、それにも対応してくれるのがデイセーラーだと思います。初心者からベテランまで、デイセーラーのセーリングにおける対応能力は高いものがあります。

ところで、私事で恐縮ですが、先日義理の母が他界致しました。そして義理の父の介護です。私の両親は既に亡くなっています。そういう年齢になってきたという事ですし、順番なんですね。その後、当然ながら、私の番もやがてはやってきます。そう考えますと、したい事、すべき事、その中で、今できる事、そういう事をちゃんと意識的にやっておいた方が良いなと思います。怠惰こそが最大の敵ではないかと思います。しかし、怠けるのも意識的にするのであればそれも良い。それで、ヨットの選択から、運用まで、知っている事、知らない事、できる限り意識的ある方が良いのではなかろうか? その上での選択なら納得できるかもしれません。

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