第五十二話 見える物、見えないモノ

目に見える物なら、まだ解りやすい。ヨットの大きさや装備があるかないか。解りやすいから、そこに大金を支払うも、リターンがあるから解りやすい。しかし、目に見えないモノは解りにくい。だから、そこにお金を支払えるのは、解る人だけという事になる。

目に見える物か、見えないモノか、解らない時は物になるし、物が解るとモノを重視する。セーリングは見えないモノです。だから解りにくい。

でも、人が感心したり、感激したり、そういう感情は、物よりモノから来るのではなかろうか? しかし、モノを重視するには、物が解らなければならない事も確か。モノを知るには、心を落ち着かせて、自分の感覚に神経を集中させる方法が良いかもしれない。

セーリングにおけるスピードは物のひとつ。何故なら、数値で表わされるから。そのスピードを追いかけていきながら、モノを探る。そのモノはヨットによって異なる。そのモノから、様々なフィーリングが得られる。そこから、感激や感心や充実感が生まれる。決して、物から生まれるわけでは無いと思います。

物には限界があって、その物が放つモノには限界は無いかもしれない。物は物体であり、モノはその物体から放たれる放射状の波のような、まるで、量子物理学の様な話。ただ、そのモノは、対する人の心にも関係する。

物が放つ放射状の波は、物によって決まってくる。それが質というモノであり、そのモノに心が触れて、初めて感じる事ができる。モノと心が共鳴しないと解らないのかもしれません。

物から入って、やがては、モノに行き着く。用を成せば充分というのもあるし、そうでは無い場合もある。それは使う側の心次第かな? 価値観の違い、どこにこだわるかの違い。

物を使い続ければ、モノが見えてくる。だから、何でも良いというわけにはいきません。何故なら、心を満たすのは、物では無く、モノだから。でも、そのモノは物次第。プラス使い方次第。良いヨットはやっぱり良い。物が良いとモノも良い。後は、自分次第か。

ヨットは物ですが、セーリングはモノです。見える部分はあるけれど、やはり重要なのは見えない処のフィーリングにある。その善し悪しが、気分を左右する事になります。セーリングで、グッドフィーリングを得た時、何とも言えない充実感が生まれます。それは、キャビンが広いとか、でかいヨットとか、便利さとか、それらには比べ様も無い面白さがあると思います。

良いヨットだからと言って、いつもグッドフィーリングになるとは限りません。しかし、良いヨットは、基本的な部分で平均より上にあります。ですから、平均としてもベターフィーリングになると思います。
我々は物を求めながら、本当に得たいのは、そこから来るモノだろうと思います。しかし、そのモノは、物だけが重要なのでは無く、それを使う側にもそれなりのモノを要求してきます。何と言いましょうか、それを、愛でる気持ちとでも言いましょうか? 気持ちの問題だと思います。

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