第七十一話 使えるヨット

多くの動かないヨットから、もっと使えるヨットにしたい。もっと気軽に、もっと面白く、それが望みです。 それには多くの方々の意識の変化が必要です。動かないヨットが多い事は、誰もが気づいています。しかし、それでも、そのままならってしまう。多くの方々の意識の空気がそうさせてしまいます。

傍から見ていますと、同じ動かないヨットに自分もして、それで、同じ轍を踏む事は目に見えてると思ってしまう事があります。大抵は案の定です。最初は良いにしても、そのうちそうなる。それでも、みんなが同じようだからと、何だか安心してしまいます。しかし、内心では、もっと何かと思う方は多いのではなかろうか?

あるひとりが、これではいかんと思いながらも、なかなか実行できないのかもしれません。それはみんなの意識によってそういう空気があるからではないかと思います。そういう空気のなかで、自分だけが違う選択をする事は、なかなか難しいと思います。誰かが制限すわけでもありません。自分で制限します。何だか、他は選択しにくいものです。

それが勇気を出して、もっと現実を見つめた方が出てこられます。そういう方々がひとり、ふたりと増えていきます。そうすると、どこかの時点で臨界点に達します。すると、それまでが嘘だったかの様に、異なる選択に全く足枷を感じなくなる。やっと自由な選択ができるようになる。

不思議なものですが、そういうものだろうと思います。日本では、まだまだ臨界点には達していません。だから、他の方と違う選択をする事には、まだハードルが高い。でも、10年前に比べたら、大分、意識は変わってきました。異なる選択のハードルは、昔より下がってきました。でも、まだ、自由に選択というわけにはいかない様です。

全体の意識が変わらなければなりません。デイセーラーがどんなに性能が良かろうが、美しかろうが、そんな事には関係無く、意識が変わらなければならないと思っています。その意識とは、多分、ひとつには、キャビンの呪縛からの開放ではなかろうか?

キャビンに固執すれば、そこから離れる事はできません。しかし、本当にキャビンを使いこなしているだろうか? 本当にそこまで必要だろうか? そういう疑問が湧いてきて、そういう方々が増えない事には、自由な選択はできない。

案外、自分だけで考えて、決断しているようで、実は、多くの方々の一般的意識に無意識に左右されるのが普通ではないかと思います。だから、どうするか? 意識的になる事だろうと思います。
メリット、デメリットを考え、自分のスタイルを考え、理論的考察をする事ではないかと思います。
それで、多くの方々の無意識の意識から開放され、自由に選択できるようになる。その結果、選択したヨットは、やっと使えるヨットになるのではなかろうか?

我々は建前としては自由な社会に生きていますが、案外、不自由なのではなかろうか?それは自分の意識が、全体の意識に対して、協調性を求めてしまうからかもしれません。それは、根拠の無い安心感かもしれません。

そんな全体の意識は、場合によっては簡単に変わる事があります。イメージです。性能がどうこうとか、理論的考察とか書きましたが、それで簡単に変えられるものでは無い。それより、性能がどうであれ、イメージが大きい。だから、宣伝にはイメージ宣伝が多いのかもしれません。

有名タレントが、これが良い、これを使って最高だなんて事がでてきましたら、全体意識のイメージはころっと変わる場合もあります。昨日まで、でっかいキャビンが重要だとおもっていたのが、今日は、そんな事よりセーリングだと変わってしまう。そういう事もあるかと思います。これはあくまで例えばですが。

理論的に考えても、デイセーラーは最も使えるヨットだと思います。しかし、理屈で人は動かない。だからイメージが必要なのかもしれません。でも、それが難しい。地道に続けて参ります。本当にそれが必要だろうか? 本当に楽しみたい事は何だろうか?
 

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