第六話 知識と技術

ヨットを走らせるには、少なからず、知識と技術が必要になります。イメージ的には、ヨットは爽やかとか、優雅とか、そういうイメージもありますが、しかし、実際は、そういうイメージばかりでは無い事は言うまでもありません。そういうイメージでヨットを始めるのも悪くは無いと思いますが、実際にヨットを始めますと、現実的な運用を考えていかなければなりません。

ヨットを遊ぶには知識と技術が必要なわけですから、その事そのものが、ヨットという遊びになるのではないか思います。そういう意味では、知識と技術を求め続ける事がヨット遊びであり、ずっと続けていかなければならない。否、続ける事がヨットを遊ぶ事そのものです。そして、もし、求める事を停止したら、恐らく、飽きるという感覚が出始めるのではないでしょうか?

その知識と技術は何もセーリングに対するものだけでは限りません。実際にヨットに乗れば、そのやり方次第では知識と技術の種類は違って来る。クルージングならば、ナビゲーションとか天候を見る技術とか、係留とか、セーリング以外の技術もたくさんあります。だから、クルージングならば、そういう知識、技術を増やす事が必要で、その蓄積が、さらにクルージングを面白くするだろうと思います。

我々は、セーリングにおいて、グッドフィーリングを味わいたいと思います。クルージングにおいても、あっちこっちに行って、旅の楽しさを味わいたいし、レースにおいては、勝利の味わいを得たいと思います。しかし、その目的において、プロセスとして必要な事は知識と技術を習得していく事をまずは目的としていく必要があるのではなかろうか? その結果として、グッドフィーリングなり、旅の喜びとか、勝利の美酒とか、そういうものがあるのではなかろうか?究極の目的は、もちろんグッドフィーリングにあるんですが、でも、当面の、目の前の目的は知識と技術に置いた方が良いのではなかろうか?

ある感情を得る目的をもって、何かをするという事には無理があるのではないか?最終目的ではあるんですが、それをストレートに目指す事はできないと思います。だから、その道筋にあるであろう知識と技術を求める事が必要で、それを求め続ける事によって、最終目的も自然に手に入る事になっていくのではないかと思います。

ですから、面倒くさい事は嫌とか、細かい事は嫌とか、そういう感覚が沸き起こってきた時は要注意で、結局は最終目的であるグッドフィーリングを遠ざけてしまう事になるのではなかろうか?
より多くのグッドフィーリングを得たいならば、やはり知識と技術をより習得していく。それを目的に、その事自体を遊ぶという感覚が必要なのではなかろうか?

という事で、セーリング遊びをするなら、セーリングに関する知識と、それを実際に動かす技術を習得するという事、それがセーリング遊びそのものであるとした方が良いのではないかと思います。
クルージングもレースもしかりです。そういうヨット感を持つと、運営方法は明確になるのではないかと思います。楽しさをストレースに得ようと考えたら、たいして楽しさは得られないのではなかろうか?それより、知識と技術を追いかけた方が、結果的にはもっと得られるものは大きくなるのではないかと思います。

次へ      目次へ