第九話 理屈と現実
世の中にはたくさんの理屈があります。誰かが学問的に、合理性を持って考え出した理論です。それでノーベル賞取ったりなんかします。しかし、現実は理屈通りに行か無い事も少なくない。経済理論なんか典型的で、理屈はそうでも、現実では合理的では無い人間の作用というのがあります。つまり、理屈とそれを運用する人間の心理も加味しなくてはならないのではなかろうか?国別なら国民性とかその国の文化とか、習慣とかです。頭脳明晰な方々がたくさん居るにも拘わらず、相変わらず、デフレなのは、理屈ばかりが走りすぎていないか? と思わざるを得ません。何かが間違ってる。 ヨットの操船技術は理屈で行われます。しかし、そのヨットがプレジャーとして使われるという事を考えるなら、遊びに対する考え方とか、個人の心理的な要素が多いに左右する事になります。そのヨットをどのように使うのか? どのように楽しみたいのか? 場合によっては、理屈はそう多くは必要無くて、もっと遊びにおける心理的要素が重要な事もある。 例えば、彼女を連れて近場で遊ぶ時、セーリング技術が重要なのでは無く、その雰囲気、環境の方が優先されるかもしれない。でも、その同じ人がレースに出るとしたら、今度はセーリングの理屈が重要になる。つまり、理屈は時と場合に寄る条件付きという事もある。 我々は一体、何をしたいのか? レースを中心にすえる人は多くは無い。一般的には、ピクニックからクルージングというレジャーという方が多いだろうと思います。しかし、だからと言ってセーリング技術をないがしろにして良いとは思えない。何故なら、もう一段階上のレベルを味わうには、それが必要だと思うからです。 ピクニックをするに、そう難しい理屈は必要は無い。近場のクルージングにしてもしかり。しかし、これらは、そればかりではそのうち満足できなくなる。そんな時、もう一歩上に上がるか、滅多に乗らなくなるかのどちらかになるのではなかろうか? もちろん、もう一段上がったレベルの遊びを味わう方が、乗らないヨットを持つより絶対に良い。そうなると、理屈を学んで実践する必要がある。ヨットに乗り始めた頃、少なからず、誰もがやったように、そしてそれが面白かったと感じたように、それが第一歩だったとするなら、第二歩目として、最初の時と同じ様に、理屈を学び、練習をする。 全然乗れなかった人が練習して乗れるようになる。だからこそ、その劇的な違いに面白さを感じた。でも、次のレベルは既に乗れる人が、もっと上のレベルに行くプロセスという事になる。理屈は似ているが、心理的要素が全然違う。それには、心理的に、上手くなりたいという欲求が必要だし、そのモチベーションの為に、上手くなったら、何が違うのかを想像できなくてはならない。第一歩は劇的な変化を物理的にもたらす。しかし、第二歩目以降は劇的な物理変化とまでは行か無い。それが第三歩、第四歩と進むにつれて、その物理的変化は繊細になっていく。 しかし、物理的な変化は繊細になっては行くが、心理的な部分ではまた異なる。第二歩、第三歩と進むに連れて、心も繊細になる。つまり、より鋭くなる。その繊細な物理変化を鋭く感じ取れるようになる。その物理変化は微妙かもしれないが、感じた心としては大きな変化になる。 上手くなったら、本当に面白いのか? 何か劇的に違う変化を味わ得るのか? しかも、その腕を誰かに見せるわけでも無く、自己の中で完結し、満足できるのか? レースに没頭するなら、その成果を他人に見せつける事ができる。しかし、レースの世界はそう甘くはない。見せつけれられる方が圧倒的に多いかもしれない。まして、そこまで没頭する気も無い。 とするなら、自己の中で、面白さが完結しなければならない。上手くなったら、本当に面白いのか? 理屈を学ぶという事は知る事です。知らない事を知るというのは、大抵の人は喜びを感じると思います。興味ある事に、なるほどな〜と思う時、大小はあれ、面白さを感じると思います。そして、それを実践します。簡単にはその通りに行か無いかもしれません。でも、試行錯誤のうえ、何とかできるようになる。解った事を、できるようになる。 つまり、上手くなるという事は、物理的に大きな変化をもたらすというより、自分が感じる心をより繊細にする事で、物理的変化をクローズアップして感じられるという事ではないだろうか?それが面白さなのだろうと思います。レベルアップというのは、微妙な変化さえもちゃんと違いが解るようになる事だろうと思います。それが微妙であっても、本人とってのフィーリングは大きいのです。 簡単に言えば、自由自在になる。理屈は頭で覚え、技術は体で覚え、その結果は心で感じる。この感じは、以前の感じとは全然違う。ただ、動いていたのが、今度は意図をもって動かすわけで、動かすには、それなりの理屈と技術が伴っていないといけないし、それらが伴うと心も感じるレベルが違って来る。だから、うまくなるとやっぱり面白い。その面白さの次元は初心者の頃の面白さとは違う。舵を握っているだけでも違う。何故なら、解っているから。繊細さを感じているから。 日本人は遊び下手と言われます。でも、日本人は向上する処に面白さを感じる。ああなって、こうなって、なるほどね〜と感心して、そこに面白さを感じる。日本人の遊びは、やはり勤勉な民族性を反映させた方が、日本人にとって面白いと感じるのではなかろうか?広いキャビンでワインなんか飲んでるより、それはそれで楽しさもありますが、それ以上のものは無い。だから、向上心をくすぐるような運営の仕方の方が合っているのではなかろうか? 近場であっても、自由自在にスイスイ走れる。その変化、理屈も分かっていて、その理屈を元に、技術が伴い、それを感じる心が養われて、そのスイスイ感は、初心者レベルもあれば、ハイレベルもある。自由自在にスイスイ走らせたいですね。人船一体感をもって。それって面白いと思います。 さらにその先は? 自由自在感を味わってから、また考えます。まずは、スイスイ、微風でも、強風でもスイスイ。スイスイ走れるという事は、全てを自分の支配下に従え、自分がボスになる事。 スイスイ走れるボスのフィーリングを味わってみたい。レベルアップというのは、自分が上に行ってヨットと風を従える事。ある時点から、特にこれまでのセーリングに何かいまひとつと感じる時、そこがレベルアップのタイミングかもしれません。退屈感なんかを感じ始めたら、レベルアップのチャンスではなかろうか? さて、最後になりますが、今年も今日で終わり。明日からは新しい年の始まりです。皆さん、今年の一年は如何でしたでしょうか? 充実したヨットライフだったでしょうか? このTALKもマンネリ感を感じておられる方も少くないかと思います。という事はレベルアップしなければならないのかもしれません。来年はもっと精進していきたいと思いますので、宜しくお願い致します。明日からの新年、皆様にとって、より良い年になりますよう願っております。 |