第九十三話 大雑把な変遷とあるオーナー

ヨットは本来、外洋性があった。全てのヨットは外洋を走るのが普通と考えられていたからであろう。でも、近年、気が付いてみると、実際に外洋を走るヨットは少なく、多くは海岸沿いに居る。それゃあそうだ、みんな忙しい。そこで、沿岸用にもっと乗りやすいヨットが建造される様になって行く。もちろん、今日の沿岸用ヨットとは違う、まだ幅も狭く、高さも低かったし、もっと頑丈だった。それで、多くは沿岸のクルージングか、デイセーリングを楽しんでいた。

そこに、業者はより快適性を求めた便利装備を売り込み始める。ドジャーやビミニトップ、それに冷蔵庫や温水等。それと同時に、デザイナーと造船所は、より快適キャビンを目指して、幅を広げ、フリーボードを高くする。そうすると、広い快適キャビンが出来上がる。メインシートのトラベラーはコクピットから、キャビン入り口の向こう側に移動、ブームも高くなって、コクピットに居る限り邪魔にならない。さらに、スターンの絞り込みを少なくしてコクピットを広げ、そこに大きなテーブルを配置する。ジブはファーリングは当然として、メインもファーリングとなり、電動ウィンチが導入されるようになって行く。

しかし、キャビン拡大競争が頂点に達する頃、大ボリュームになったヨットを動かすのは簡単には行かなくなった。特に、風圧面積も大きいので、マリーナからの出し入れには気を使う。だから、バウスラスターを設置し、最近では、横歩きするヨットも出てきた。これで、便利極まりないから、いつでも、どこへでも行ける。GPSもあるし。

それと同時期に、一方で、ひっそりと生まれたヨットがあった。デイセーラーだ。クルージング艇とは真逆のコンセプトを持ち、当初は、ほんの一部の愛好者に支持されていた。真逆というのは、シンプルで狭いキャビン、クルージングの快適キャビンとは真逆で、それよりセーリングを重視、もっと気軽で、高い帆走性能をスイスイ、気持ち良く走れるようにできないか? そういう要望だった。

並行して、沿岸用クルージング艇は、別荘的に使われるようになる。マリーナの桟橋では電話線がひかれた。携帯電話が一般的になる前の話。さらに、ケーブルテレビがあって、もちろん、陸電もある。周囲を見渡せば、レストランもあるし、いわゆるリゾート地へと化す。そこに多くのオーナーが、週末になると、ヨットを動かす事無く、キャビンで過ごし、コクピットでビールを飲みながらの談笑。そんな光景が多く見られるようになる。バウスラスターがあっても、でっかいボリュームのヨットを動かすのには、そう気軽にとは行かなかった。それは物理的にというより、気持ち的にと言う要因の方が強かったのかもしれない。

ところが、近頃、そんな、別荘的な使い方にも、行き詰まりが感じられるようになってきた。考えて見れば、毎週、マリーナに行って、そこで週末を過ごす。そうなると、知らない間に、自分達がそのマリーナに縛られている様に感じてきた。他の遊びもしてみたい、旅行や他のレジャーもいろいろある。でも、何だか、我が家のレジャーは週末の別荘という事になってしまう。

もっと気軽になりたい。ヨットはヨットで楽しい。しかし、それだけじゃない。何も、大海を渡るような大冒険をしたいわけじゃない。楽しみたいだけなのに、何故か、そこに縛られて、窮屈感を感じるようになってきた。そこで、思い切って、別荘をやめて、デイセーラーに買い替える。キャビンは確かに狭い、でも、寝れないわけじゃない。それより、気軽に出せて、昔の様にセーリングが楽しめる。

スタイルをこれに切り替えてからは、毎週末を必ずしもマリーナで過ごさなければという強迫観念にも似た気分から解放され、いろんな事ができるようになった。もちろん、セーリングする時は、シングルでも簡単だし、何しろセーリング性能も高くて、久々にセーリングに面白さを感じるようになった。クルーの心配も要らないし、メインテナンスだって簡単だし、それに、ヨットに泊まれないわけじゃない。近場ならクルージングだって行けるし、ホテルを使う方法もある。返って、以前より、アクティブになってきた。何と言っても、気分が軽くなった。

あらためて、セーリングはスポーツだと感じてきた。これは今迄とは全く違う感覚。セーリング操作に楽しさを感じるようにもなった。
再び、セーリングに面白さを感じれるようになれた事は大きい。あるオーナーより。



  

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