第二十七話 考えるセーリング




       先日、釣り好きで、殆ど、毎週末に釣りに行くという方とお会いしました。それで、釣りの話を聞いたのですが、
      釣りの面白さは、その時の状況を考えて、対象の魚の事を考えて、こういう仕掛けで、こういうポイントにと、
      考える。それで実際に釣れるのが面白い。もちろん、魚がヒットして、引き上げるやりとりも面白いのですが、
      その前に、考えて、意図して、試行錯誤したりして、特に、他のみんなが釣れない時にでも、工夫して釣れる
      様に出来る。成る程とか、やっぱり思った通りとか、釣りは奥が深いとの事でした。

      これって、セーリングも全く同じなのではないでしょうか? ある程度乗れるようになれば、適当にセール出して
      セーリングする事はできる。それでも、良い風が吹いてくれれば快走して、気分も良い。しかし、そういう時ばか
      りでは無いし、偶然の良い風を待つのは、釣りで言うなら、ただ、糸を垂れているだけなのかもしれません。

      この釣り好きが言う様に、釣りに限らず、あらゆる事を、本当に楽しむには、自分で考えて、試行錯誤を通じて
      その事自体を楽しむのは当然ですが、自分の思考を試すという遊びもあり、上手く行ったり、行かなかったり、
      それが面白さなのではないかと思います。

      誰でも最初は解らない。でも、自分で考えるセーリングを続けていくなら、それが蓄積されて、それで初めて、
      セーリングの奥深さを味わえる様になれるのかもしれません。

      現代は、何でも至れり尽くせりの時代で、昔は、自分で何でも工夫したものです。それが面白さであったと思い
      ます。 それが製造者の方が先回りしていろいろ考えて、こちら側が考えなくても良いようになってきました。
      だから、飽きたら、捨てるだけです。

      でも、釣りとかスポーツとか、楽器の演奏とか、セーリングも同じで、技術を要するものは、練習も必要ですが、
      同時に考える事が無いと、本当の面白さは解らないのかもしれません。便利にばかり慣れてしまって、すぐに
      面倒くさいとか感じてしまうのは、現代病なのかもしれません。便利な世の中ですから。なのに、敢えて、ヨット
      をやるというのは、便利以上の何かを求めるからではないかと思います。そして、より面白さを獲得する方法
      は、学んで、考えて、工夫する処にあるのかもしれません。
            
      どんなに良いヨットだろうが、それ無しでは、本当の面白さは得られないのかもかもしれませんね。釣り好きの
      話を聞いて、成る程とお思った次第です。その釣り好きが言うには、考えない奴が多い。それでいながら、釣
      れる成果だけ期待している。それじゃ、釣れないよ。耳の痛い話でした。



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