第95話 それもありか

テレビをみていたら、ある人が木の上に茶室を造っていた。ゲゲゲの鬼太郎のあれである。
はしごをかけて登る。狭い空間ながら、大きめの窓を開け、お茶をててて、後は寝っころが
って、窓から田園風景を眺める。良いね、こういうのも。男は馬鹿だからこういう無駄の物
が大変好きである。でも、毎日というわけにはいかないね、退屈だし、たまにだから良い。
こういう別の世界は。

こう思うと、ヨットでも同じかもしれない。たまに別の世界に来て、ぶら〜っとセーリングして、
何もしゃかりきになってセーリングしなくても良い。こうなると、多くても1ヶ月に1回か、或いは
2〜3ヶ月に1回かと言う事になるのだろう。これもありか?何と贅沢な空間なんだろうか。

確かに、それもあり、でも、こういう使い方ばかり多いのはどうかとも思いますね、やはり。特
別な世界だから、特別なイベントになる。特別なイベントはたまにしかあってはならない。何故
なら、しょっちゅうだと特別では無くなるから。特別である事に価値がある。でも、特別なイベン
トだから、めったに使えないのはもったいないという部分もある。やはり、特別では無く、普通
の日常的な事であれば、もっと深く知る事ができる。という事はヨットという乗り物は二つの側
面がある。特別な物として、特別な時にだけ乗る乗り方と、特別な物とはせずに、日常的な物
として、日常に乗る。今は、大半が特別扱いだから、そういう乗り方が好きな人、満足している
人はそれはそれで良い。でも、私個人はヨットを特別な物として、とっておくには嫌だから、日
常の物にして、日常で気軽に乗る方が良い。その方が面白い。

アメリカではトレーラーに載せて、自分の庭にヨットやボートを置いている人は少なく無い。そう
すると運送の関係上、大きなヨットは運べないので、大きくても25とか26フィートとかになって
くる。こういうサイズだから小さいし、キャビンも狭い。でも、これが楽しいし、気楽だし、お金も
かからないし、自分で日常的に扱う事ができる。これがヨットを気楽な物にしている一因である
かもしれない。

日本ではキャビンばかりが重視されるが、もっと身近な物としての意識を高めるには、小型ヨッ
トが今の何倍も増える方が良い。まずはヨットを特別視せずに身近に感じる事が大切ではない
かと思う。どんな乗り方をするにしても、世の中にある様々な物の中のひとつに過ぎない。
こういう風に感じさせてくれるのは小型ヨットではないか。大きなヨット、高価、ステータス、豪華
こういう物は特別になりやすい。その点、小型ヨットは気楽になれるし、気楽になれれば、ヨット
そのものの遊びを堪能しやすくなる。初心者も入りやすくなるし、ヨット人口も増える。そして、
いつかはもっと大きなヨットに乗りたいと思う。身近にヨットを感じている人は大きなヨットでも、
扱える。そして、再び、小型の自由自在なヨットに帰ってくる。これが健全なヨットの増え方では
ないだろうか。小さいヨットは自分でどうにでも扱える。工夫もできる。アレンジもできる。ヨット
のあらゆる部分に触れて、乗りまわして、自分の物にして、そうしたらセーリングの醍醐味も
簡単に体験できて、海の遊びも堪能できる。そうして、大きくすると、余裕で乗れる。しかし、
メインテナンスは大きくなると自分ではできにくい。クルーの世話も必要になる。それで、再び
年齢の増加と供に、小型ヨットに戻ってくる。再び、昔のように、自由自在に気軽に乗りたくなる

次へ        目次へ