第一話 人は情緒でできている


      

ある天才と言われた数学者は研究ノートに、”人は情緒でできている” と書き残したそうです。頭脳明晰で理論を追い続けた数学者の結論なんでしょうか?あらゆるものは数学で表す事ができると、確か、誰か、他の数学者が言ってた様な気がしますが。

ヨットで言うなら、数学でヨットを表す事ができる。セーリングも数学で表せる。これらは物理現象だから、同じ条件の時には同じ反応を示す。でも、乗るのは人間で、評価するのは人間で、その人間を数学では表せないという意味なのだろうか?

好き嫌いに理屈は無いし、その理由さえも解らない。ヨットのデータを計算して、そのパフォーマンスを数値化して評価できても、感性的にどうなのか?これが遊びだからこそ重要な点になると思います。遊びじゃ無かったら理論優先の方が良いかもしれません。しかし、いずれにしろ、理論と感性のバランスを取らないと上手くいかないのかもしれません。

頭で考えると便利は良い事と判断しますが、感性的にはいろんな操作をする事の面白さ、それによって結果に対する感覚的評価も違ってきます。どの辺りで遊ぶかは理屈と感性のバランスにあるのではないでしょうか? 現代は便利過ぎて、それに慣れて、理論優先の社会だと思いますが、遊び、セーリングなんかは、もっと感覚的であっても良いような気がします。

海に出るというのは、陸上の理屈社会から出て、感性の域に出る事。そこでたっぷり感じてこそ、遊びの遊びたる所以があるのではないかと思います。もっと気軽に海に出ませんか?2,3時間でも良いんです。理屈は全体に共通ですが、感性は自分独自のもの、それを開放する事は自分をリフレッシュする事になると思います。セーリングには理論も使いますが、どう感じているかも重視します。どっちが優先かと言うと感性の方ではないでしょうか?海と陸上は逆転させる事ができるんですね。




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