第十七話 あるがままに


      

先日の夕方、マリーナにはらしからぬ賑やかさがあった。普通はオヤジばかり、それも多くは無い。しかし、この夜は花火大会、この時ばかりは、子供や女性も多かった。そんな華やかさを、せめて週末ぐらいはこうならと、思わず口に出る。

何かのイベントがあればたくさんの人達が集まる。タモリカップなんかもそうだった。と言う事は、普段は出ない人達がいっぱい居るという事になる。ここ何年もの間、年に一度ぐらいしか出してこなかったというオーナーも居られた。

つまり、きっかけが欲しい。出したくなる動機が欲しい。それが多くの方々の普通の気持なのかもしれない。誰かがたくさんイベントを企画してくれれば良いが、そうも行かない。という事は自分で何とかするか、諦めるか?ピクニックだって、いつも都合良く誰かが来るわけじゃない。こうなってくると、自分のヨットライフは他力に頼る事になる。

反面、しょっちゅう乗って楽しむ人達も居る。彼らは少数派だが、その差は拡大するばかり。ここにも格差社会が成立している。この差は一体何だろう? 彼らだって、出ればいつだって快走を味わえるわけじゃないのに。

快走を期待するのは誰しもの事、しかし、もし、快走を期待しなかったら?何も期待せずに、ただセーリングに出たとしたら?それを何度も繰り返したら、その中には快走もあるし、スリルも、退屈も、いろんなセーリングがあり、期待しないからこそ、その日のセーリングをそのまま味わえるのかもしれない。考えてみたら、その方が、長い目で見れば、より深い味わいとなっていくのではなかろうか。例え、今日のセーリングが、たいして走らなかったとしても、また、今度。そう言う風に気軽に言えたら良い。

春夏秋冬、朝、昼、晩、微風〜強風、あらゆる自然環境の変化があって、そこに乗り出す気分も様々。これだけバラエティーに富んだ環境だから、ヨット全体を知るには、何度も、何度も出てみなくちゃ解らない。だから、ただ、気軽にヨットを出して、2〜3時間走ってくる。それで充分だ。重要な事は何度も乗る事ではなかろうか?そして、その日、その日のセーリングを味わってくる。もちろん、そのひとつひとつに楽しさや面白さを感じる事もある。しかし、ひょっとすると、この積み重ねは、楽しいとか面白いとかいうのを超越するかもしれない。

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