第九十話 合理性と情緒性


      

久し振りにとある田舎のマリーナ行きましたらこの数年で様変わり、ヨットが激減し、その代わり大きなパワーボートばかりがずらり、せっかくなので帰り際、別のマリーナにも立ち寄ってみましたが、そこも状況は同じでした。この傾向は我々現代人が情緒性より合理性をより強く求める傾向の現れでは無かろうか?

便利主義、効率主義、合理主義云々、これらは現代人を表す最も適切な言葉かもしれません。それによって我々の生活は便利になり効率的になってきた。しかし、ちょっと昔スローライフという言葉が流行ったのを覚えておられるでしょうか?これは物質的豊かさに対して心の豊かさを唱え、もっとスローにという提案だったのでしょうが、あまり浸透したとは言えませんでした。もはや便利や効率を日常生活から減ずる様な事はできません。合理主義は我々の意識の中にしっかりと定着してしいる。

そういう合理主義で見ると、ヨットよりボートの方が圧倒的に理に適っています。スピード、機動性、便利性、どれをとってもボートの方が現代人の考え方に合っています。しかし、敢えて言いますと、遊びにまで合理的な考え方だけで良いのだろうか?ボートが駄目と言っているのでは無く、ボートもヨットも合理性以外の見方を持った方が良いのではなかろうか?また、合理性が駄目なのでは無く、遊びという性質を考えた時、合理的な選択をしたとしても運用面においては情緒とか、風情とか、楽しさ、面白さ、スリル、冒険心、遊び心、そういう心の面を味わうというのが遊びなのではなかろうか?

日常生活には便利で効率的で物質的豊かさがあって、そして遊びにおいて心の動きを味わう。これで人間としてのバランスを取る事ができるのでは無かろうか?合理だけじゃ駄目だし、スローだけでも駄目で、その使い分けとして日常生活と遊びにそれぞれの意味を持たせる。

海には風情があります。ボートでまっしぐらに走る以外にも海を味わう何かを持った方が良いだろうし、ヨットだったらセーリングすればあらゆる感覚を味わう事ができます。重要な事はそれら行為から得られる味わいを愛でるかどうかではないでしょうか?意識がそこにあるかどうか?

非日常と言いながらも、やってる事は日常的だったりする事もあります。非日常は海というフィールドだけでは無く、いかに海という非日常を愛でる事ができるかどうかではないかと思います。それが心の豊かさに繋がっていくのではないかと思います。だから遊びは何の役にも立たない無駄な方が良い。

非日常、風情、感性、そういう視点で見ると、圧倒的にボートの方が多いというのは極端過ぎ無いだろうか?と思うのであります。ボートも良いけど、セーリングはフィーリングの宝庫です。どちらにしても合理性以外の非日常性を味わって欲しいと思います。


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