第百話 ヨットに対する考え方


      

もはや何が出てきても、新しい物に驚きゃしません。インターネットで世界が繋がる世界、小学生がスマホを操作する時代、ましてや相手の顔を見ながら話もできる。そんな凄い時代です。宇宙旅行でさえ、視野に入ってきました。ボートやヨットを見れば、船が蟹の様に横歩きしますし、昔じゃ考えられなかった。それらが当たり前の時代ですが、ですからもはや、物に対して、今後何が出てこようとも驚かない。想像できる事はいつかは可能になる。そう思えます。

しかし、一方では、人が自分の肉体を使って、凄い事をして見せられた時には、驚きますね。感激すらします。オリンピックが始まりましたが、100mを10秒切って走る。高く飛んだり、ぐるぐる回ったり、人間の技術の高さには驚かされます。それらは、機械を使えばもっと凄い事をやってのけるのでしょうが、そういう問題では無く、もはや、驚きは人に対してのみ心を動かされるのかもしれません。

速いヨットは、誰が操作してもやっぱり速い、人の腕の違いによって差はありますが、でも、やっぱり速いヨットは速い。逆に、遅いヨットはプロが操船しても、やっぱり遅い。それはヨットの能力の違いで、その能力は、そのヨットに固定されたものです。ところが、操船する人によって違いが出てくる。スピードだけでは無く、あらゆる処に違いが出てくる。ここに人の差があり、驚くのはそこではなかろうか?人です。

また、人の差は、観察力や感性の違いがあり、その差は、セーリングという経験から培われます。何も凄いヨットマンにならなくても、自分がより感じれるようになっていく処に、面白さが生まれ、故に、上手くもなっていくのではないでしょうか? 人より速くは簡単ではありませんし、ヨットも違う、でも、自分がより多く、繊細にも感じ取れる感性を育てていくのは、何よりも面白いのではないでしょうか?

世の中が便利になればなるほど、技術が進化する程、自分自身が何をできるかが重要になるのではなかろうか?そこにしか面白さは無くなるのではなかろうか?完全オートマチックで、セールのトリミングさえコンピュターがやってくれるとしたら、全くの素人がプロに勝てるかもしれない。でも、それって面白いだろうか?勝ったのは自分では無く、コンピューターという事になります。セーリングを楽しむのは、そこじゃ無い。便利はあくまで便利の世界におさまり、面白さの世界は別にある。ですから、自分でセーリングや旅を探求して、自分の技術や感性を遊ぶ方が面白いと思う次第です。



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