第六話 コロナで解った事

   
   

やっとコロナが収まってきて、様々なスポーツやコンサート等、人を集める事ができるようになりました。しかし、この3年間で解った事は、人には遊びという癒しが欠かせないという事です。もちろん、遊びの前に生きる事が重要ですが、そこにいろいろ制限が加えられてきた時、遊び無しでは精神が病んでくる。

通常では遊びは二の次にカウントされがちですが、遊びは生きていくうえで重要な要素である。あるオーナーは滅多に乗れないけど、持っているという事実だけでも心に少しでもゆとりを感じさせてくれると言った。いつかは、その気になれば、或いはいつでも、セーリングして楽しむ事ができると。もし、その時が来たら、どんなに癒されるか、感動さえするかもしれない。

制限があると、その中でできる制限された自由は充実したものになるのかもしれません。ところが、本当に自由になった時、普通のセーリングではたいした感動も無いのかもしれない。そこを何とかする為には、例えば、探求する姿勢がいくらかは解決してくれるのではなかろうか?

セーリングは誰でも簡単にできるが、のんびりも良いが、たまにはセーリングの様々な要素を細かく分類して、自分のヨットがどういう走り方ができるのかを探求する。上りの角度やスピード、波がある時、風の強さによる違い等々、これらをテーマに置く時少なからず集中して緊張感が高まります。そして、その後の緩和がもたらされる。風や波は制限を加えます。その制限があるからこそ、そこを狙った時にこそ、制限ある自由が面白さをもたらす。

非常時は小さな遊びでも良いかもしれないが、普段ではそれがたいした事では無くなり、よって普段は制限を求め、意識する事で、もっと先の面白さが得られるのかもしれません。レース好きはレースの中にある制限をかいくぐっていく処に気持ち良さを見出すのかもしれません。

旅にしても同じで、行った事が無い場所、より遠くを目指すというのは、あるであろう制限に対する冒険です。それはある種の緊張感を伴い、だからこそ到着時の緩和が心地良い。

コロナ後、ただ遊びが戻ってきただけでは無く、遊びに対する見方が少し違ってきはしないか?全く、前と同じに戻るという事は無いかもしれません。コロナという制限が、次のステップに我々を押してくれるかもしれません。そうなると、いかにヨットを楽しむか? それが今後のヨットのバリエーション深化させてくれないだろうか?乗り方、使い方、ヨットのコンセプトの違い、外洋、近場、いろいろあって、どれが最も自分に合っているか? これは考えるのでは無く、感じるものだろうと思います。


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