第五十一話 楽しさと面白さ

   
   

何をするにしても楽しいだけでは長続きしないのではないか? 長く続くとしても思い出したかの様にたま〜にしかやらない。そうなってしまうのではないかと思っています。楽しさはその時の一過性のものだと思うからです。そこいくと面白さというのは長く続ける事ができる、むしろ続けたくなると思います。何故なら、回を追うごとに成長していく事ができるからだと思います。

ピクニックは楽しいものです。ですからおおいにやるべきだと思います。ですが、ピクニックだけでは長続きしない。でも、もし何度もやると各々のピクニックに変化を発見たりして次はこうしようか、ああしようかなんて考えが出てきたら、それはもう楽しさだけでは無く面白さが出てきている。これなら長く続ける事ができるかと思います。

要は楽しさはそれはそれで良いんですが、その時だけであり、変化があっても気づかない。楽しいんですからそこに意識が行かない。そういうものだと思います。ディズニーランドに何回も行く人が居ますが、そういう人は非常に詳しくなっている。楽しいと同時に面白さも発見しているのではないでしょうか?何しろたくさんのエンターテインメントが用意されてますから、全部を体験するにも時間がかかるし、二度目を体験するとそれまで気が付かなかった事を発見する事もある。温泉に行くと楽しいですが、何度も何度も行くには面白さが湧いてこないとそうはならない。

長く続ける秘訣は変化を発見する事、それが多くなればなる程面白さとなって何年も何十年も続けていきたくなる。しかし、変化を発見するも乗り手がそういう意識を持たなければならないのではないでしょうか?大きな変化は誰でも気づく、しかし大きな変化の頻度は少ない。よって小さな変化にも気づく必要がある。その各小さな変化の積み重ねがおおいなる面白さになっていくのではないかと思います。

セーリングは感覚が重要と以前書きましたが、それを増幅させるには意識が必要という事になるでしょうね。その意識は感覚によってもたらされ、その感覚は意識によってもたらされ・・・・・。 感覚、意識、楽しさ、面白さ、これらが上手く循環していくと良いと思います。 まずは意識する事からではなかろうか? 何であれ夢中になって遊べたら最高です。


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