第十八話 遊び

高度経済成長を成し遂げ、物質面で本当に豊かになり、その後、心の面において豊かさ
を感じられない。そういう話が長い事言われてきました。欧米を見ては、そういう事が囁か
れ、これからは心の時代だと言う人も多かった。それから、長い年月を経て、今、その心
が豊かになっただろうか。ところが、バブルの後遺症で、それどころでは無かった。しかし、
果たして、バブル期には心は豊かだったのだろうか。

物心両面において豊かになりたい。昔は物不足で心の話どころではなかったが、それが
満たされると心の話になり、ところがどうやったら心は豊かになるのか、結局、物で満たし
高級品を手に入れてはみたものの、結局、心は思った程満たされなかった。そうでは無か
っただろうか。

精神の豊かさとは一体何でしょう。それは遊びだと思います。損得勘定抜きに夢中になれ
る事、この遊びが心を豊かにしてくれるのではないかと思います。遊びと言っても、様々あ
ります。テレビゲームも、スポーツも、映画も、音楽も、絵を描いたり、陶芸や、何かの収集
ショッピングも、テレビ見るのも遊びでしょう。必ずしも、別荘を持つ事や海外旅行したり、
そういうたいそうな事ばかりが遊びでは無いはずです。豊かさとは物質から来る物では無く
心から出る物ではないでしょうか。つまり、同じ事をしても、ある人は満たされ、ある人はど
うもまだすっきりしない。あらゆる遊びは、遊びそのものが豊かさをもたらすものでは無く、どう
接するかによって、心から涌き出るものではないかと思います。と言う事は物は、引き出す道
具、手段であって、遊びはプロセス、そのプロセスにどう関わるかによって、豊かにもなれる
のではないかという気がします。バブルはそれを実感させてくれました。

これから先、どんな物を持ってきても、どんな豪華であっても、満たされる事は無いのです。
遊びという物を考えなおさなくてはならない。本当は考える事では無く、自然に感じなければ
ならないのですが、考えてみれば、心の豊かさを論じる事は、先進国の満たされた国民の
たわごとかもしれません。

大きなヨットを手に入れた。豪華で、何でもついて、冷暖房完備、たっぷり塗られたニスの美し
さ、優雅なラインを描く船体。広いキャビンに皮製の深深としたソファー、ギャレーには冷蔵庫
や冷凍庫、電子レンジもあるし、何でもある。セールは全てファーラーで、しかも電動ときている
そんなヨットはあこがれです。でも、それでも満たされる事は無い。優越感を感じる事はあっても
それとは違う。どんなに素晴らしいヨットであろうが、どんなに名艇であろうが、それ自体が豊か
さを与えるとしたら物質的な物であり、多くの方々が求めるであろう精神的豊かさとは別の物で
はないでしょうか。

だから、こういうヨットを求めるのが間違っていると言っているわけではありません。多いに、求め
て良いと思います。ただ、ハードを求めたならば、今度はそれにどう接するかが重要です。ヨット
を自慢の種にするのでは無く、いかに使うかです。使われるのでは無く、使いこなすかです。そ
れはノウハウでは無く、どうやったら心から楽しむ事ができるかにかかっています。心が豊かで
は無いのは自分自身の取り組み方のせいではないかと思います。

私の知り合いの方ですが、実に面白い人で、何でも楽しんでしまう人が居ます。ある日、おもちゃ
屋に入りました。子供へのみやげを買う為です。この人、広い店内を歩き回り、ひとつひとつおも
ちゃを手に取っては、自分が面白がるのです。端で見ていても、こちらが楽しくなるくらい、楽しん
でしまう。こういう人は遊びの天才ですね。何やっても面白がる。他人の目を気にせず、自分の
できる事を楽しんでしまう。無い物を、これがあればと思うと、今ある物では楽しめなくなります。
でも、あれもほしいが、今は無いので、今ある物を楽しんでしまう。これができれば、精神は豊か
ではないでしょうか。

ヨットも同じだと思います。今あるヨットを最大限楽しんでしまう。その方が良い。それでヨットをもっ
とも楽しむ方法として、大きなキャビンや装備を考えてきました。しかし、それでも満たされはしな
かった。ヨットが悪いわけでは無い。自分のせいです。キャビンを求めたなら、そのキャビンをうまく
利用して、多いに楽しめば良い。でも、暇が無い。どうも泊まるのもどうか。そういう具合でしょう。
これらは我々日本人に合わないようです。たまにで良いのです。でも、最もあこがれたのはセーリ
ングではなかったでしょうか。風で走る爽快感ではなかったでしょうか。ところが、大きなキャビン
を見た途端に、それが惑わされてしまった。こういう使い方もできると思ってしまった。ところが、
大きなキャビンが足かせとなり、セーリングさえもままならなくなってしまった。そういう気がします。

もう一度考え直して頂きたいと思います。キャビンも結構、でもセーリングこそが第一です。そして、
セーリングを多いに楽しむ事です。スムースな走り、それに伴い勉強して、腕を上げ、もっと滑らか
に、そういう本来の喜びを見出してはいかがでしょうか。セーリングは物だけでは無い、行為が必要
です。その行為は、ひたすら快走を目指す事で、豊かさをもたらしてくれる。他人に見せる為では
無く、自分が感じる為です。ある程度までは、誰でもセーリングをします。でも、そこそこ行けば、後は
セーリングそのものにはたいして重きを置かなくなります。結局、そこから先はどこかに行く事に重点
が置かれます。それが悪いわけではありませんが、これも暇が無ければどうすることもできません。

クルージングというのでは無く、何度も言いますが、スポーツクルージングです。より良い走りを求めて
快走を目指す。そういうセーリング、時間が無いなら、たった2,3時間でもできる。それも、時には深い
セーリングができる。それを実行していただきたいと思います。そうすると、ヨットの見方が変わります
ね。もはやキャビン第一ではありません。セーリング第一です。その為に整備して、ベストコンディション
を保ち、最高のセーリングを味わっていただきたい。大事な事は、よし、今日は最高のセーリングをする
ぞと思うことではないでしょうか。最高のセーリングは、最高の気分を味わえる。ヨットならではの気分
です。それでヨットが楽しくなる。ヨットが楽しいと、ヨットに関わるあらゆる事が楽しくなってくる。ヨットに
泊まる事も楽しくなる。そう思うのです。キャビンライフが楽しくても、セーリングが楽しくなるとは限らない
でも、セーリングが楽しければ、全てが楽しくなる。そう思います。キャビンや装備をちょっと削って、セー
リングをいかにやるか、これを第一に考えていただきたいですね。

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