第三十七話 男が夢中になれるもの

子供の頃は何にでも夢中になれた。特に、遊びなら何でも夢中にやった。しかし、大の大人が
夢中になれるものとは何だろう。興味ある程度では無く、心の底から夢中になれるものとは
何だろうか。酒は好きでも夢中になる程では無い。女は好きでも夢中にもなれる相手がいない。
それに今夢中になったら大変だ。スポーツは体の健康維持の為。

心の底から夢中になれるものには緊張感が伴う。楽器を演奏するものは、本当に夢中になると、
スリリングな緊張感を味わう。野球でもサッカーでも同じだろう、夢中になるというのは表面だけ
さらりとやるのとは違う。それは娯楽だ。夢中になるのは緊張感を楽しむ。緊張し、次に緩和し
それが繰り返し起こる。それを得たいが為に夢中になる。夢中にならないと、そういう感覚はえ
れない。絵を描く事さえ、緊張感がある。緊張を伴わない物は、娯楽である。

娯楽は手近にあればいつでも楽しめる。テレビやゲームはいつでも楽しめる。自分の場所からわ
ざわざ出かけなければならない娯楽は、頻度が下がる。遠くても、頻度が上がるのは、夢中に
なったからである。娯楽は楽しいが、それ以上のものでは無い。単なる娯楽が変化し、夢中に
なる時、そこには緊張感がある。緊張感は男に幸福をもたらす。

1時間幸せになりたいなら、酒を飲め、3日幸せになりたいなら結婚でもしろ、永遠に幸せになり
たいならセーリングを覚える事だ。男は夢中になるには緊張感が必要なのだ。案外浮気するのも
本当は緊張感を求めているのかもしれない。安定したかみさんでは退屈してくる。だから、よそに
緊張感を求めているのかもしれない。

ヨットをキャビンライフとセーリングライフの分けたら、キャビンライフには緊張感は無い。だから、
みんな飽きてしまう。良い証拠に別荘地は誰も使われずに空いている。キャビンばかりを考える
とそこに緊張感は無いので、あきてくる。それで、またよそに緊張感を求める。仕事は男に緊張感
を与えてくれる。だから夢中になる連中が居る。遊びでも安定したものより、緊張感を伴う方が飽き
ない。夢中になれるのである。それは緊張を乗り越え、安定した弛緩を味わい、そして再び次の緊
張感へと進む。もちろん、緊張ばかりでは続かないし、安定ばかりでは退屈になる。

セーリングすると、緊張と安定の両方が交互にやってくる。それも自分のレベルでやってくる。だか
らこれを知った者は夢中になってしまう。風を受けてヒールする船体は、少しばかりの緊張感を伴う
そこに強いブローがやってくる。それをシートを緩めて見事にかわす。それも緊張感だ。強風になる
と緊張感が大きくなってくる。ヒール角度は大きく、ウエザーヘルムが強くなる。風を逃がして、セー
ルをフラットに、スピードは上がる。緊張感だ。安定すると弛緩がくる。さらに強くなると、いつリーフ
しようかと緊張感が来る。ジェノアを少し巻いて、力を抜く。弛緩である。全ては緊張と緩和の連続
になる。その為にタックとジャイブを繰り返し、スピンをはる。この緊張感があるからこそ、男は夢中
になれる。初心者は初心者レベルの緊張と緩和があり、プロはプロレベルの緊張と緩和がある。
だから、誰でも夢中になれる。

セーリングは遊び、遊びに目的は無い。味わう為に遊ぶ。その遊びは緊張と緩和がある方が男は
夢中になれる。その緊張が絶大な物であれば、一部の強靭なる精神を持ったものしか遊べない。
だから世界一周でもしようという人は強靭なる精神を持つ。しかし、セーリングは初心者から、プロ
レベルに至るまで、そのレベルの緊張感をもたらす。そこがセーリングの良いところである。

同じセーリングでも、緊張感の伴わないベタ凪のピクニックセーリングでは、初心者はともかく、経験
が深くなればなる程緊張感は少ない。それでブローが時折入って、風が強くなってくると俄然緊張
してくる。こうやって、マリーナに帰ってくると、ほっとする。今までの緊張感から完全に開放される
からだ。こうやって充実感は生み出される。この緊張感を味わうに、目の前でできる。目の前に大の
男が夢中になれるチャンスがある。それを取るか、取らないかは自由である。もし、取らなかったら、
男は別のところに行って、別の種類の緊張感を求めるだろう。そして、どの緊張感も取らなかったら
何と退屈な人生かと悩んでしまうかもしれない。

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