第二十四話 娯楽と冒険

WBC,日本がついにチャンピオンになりました。テレビの前で応援していた方々も多かったと思います。良い試合はやっぱり緊張感を伴います。野球は娯楽ではありますが、その中でも、こういう緊張感を伴うゲームは単なる娯楽から、一種の冒険のようなにおいを感じさせます。そこに人の感動を生み出す力があるのだと思います。

遊びを娯楽にするか、冒険にするかは勝手ですが、娯楽は生き抜きとか、一時的な快楽とか、そういう感じがしますが、冒険は真剣さと、緊張という感じがします。そして人を夢中にさせ感動を呼び起こすものは一種の冒険なのだと思います。人生には感動というエネルギーのチャージがあった方が生きる喜びに繋がる。人の冒険を見るのでもチャージはできますが、もし、自分で冒険して感動してチャージできるのであれば最高では無いでしょうか。

人に何かを伝える時、言葉巧みな、理路整然とした説明や豊富な語彙による言葉は、話上手かもしれませんが、自分が得た体験から生まれる言葉は、例え話上手では無くとも、相手により伝わる
それは言葉がバーチャルであり、経験は現実だからではないかと思います。現実の体験は魂に染み付き、理論だけの言葉はただの仮想に過ぎない。ですから、りっぱな理論より、小さな体験の方が人を動かす。

ヨットで小さな冒険をしようではないですか。小さな冒険、体験の積み重ねが長い年月の後、どんな風に変わっていくか、多分、生きる為のエネルギーがチャージされると思います。先日、新艇の競合で、より大きなキャビンという事で負けてしまいました。オーナーの求める所が違っていたようです。それはオーナーの勝手です。キャビンライフが好きな方はそれでも良い。でも、そこに冒険は無い。キャビンライフは休息であり、休息は緊張を伴うから、休息が生きてくる。どうせなら、ヨットにも緊張と緩和を交互にいれていただきたいと思います。ヨットの緊張はセーリングから生まれます。ですから、キャビンも無視はしませんが、セーリングも無視できません。考えてみれば、ヨットにはその両方がある。その両方をうまく使い分けてこそ面白くなる。

まあ、ヨットを娯楽にするか、冒険にするかはオーナーの自由ですから、ほっといてくれと言われれば、そうなのですが、できれば冒険の方に重きを置いてほしいと思います。何故なら、その方が男は夢中になれるからです。男は冒険が好きだし、冒険は男をワイルドにする。ワイルドは最近流行りのちょいワルオヤジみたいなもので、冒険する男はモテモテなのです。カッコイイのです。何故なら、回りの連中を感動させてしまう魅力が身に付くからです。ちょうどWBCチャンピオンになった選手達と同じですね。例え、チャンピオンにならなかったとしても、彼らはカッコイイ。

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