第五十二話 機能とデザイン

イタリアはデザイン優先というような事を書きましたが、それは機能の方がデザインより優先すべきであるという立場からの話です。しかし、果たしてそうでしょうか?何も無い時代では、確かに機能が重視されるべきかもしれませんが、今日の日本では、物は豊かで、何でもある。そういう時代には機能もさる事ながら、美しさというのも非常に重要な要素です。高性能だが、醜いというのもいだだけません。特に、ヨットなんていうものは遊び道具、遊びは心を潤すものでなければなりません。今から世界一周でもしようというなら、それに耐える性能を持たなければなりません。でも、今はそれに加えて、さらに美しさが求められる時代です。性能さえ良ければ良いという時代ではもはやありません。

デザインが優先されるあまり危険であるとか、使用に耐えないでは困りますが、充分な性能があれば、或いは同じ程度の性能であれば美しい方が良いわけです。美しさは人の心を癒します。また、美しさは見た目の姿形だけでは無く、帆走のバランスの良さや、いびつさの無い、動きの美しさもあります。美しさを感じるのは人によって異なるかもしれません。しかしながら、共通して美しいと感じるところも多い。そして、誰もが美しいと感じるヨットは、たいてい性能面においても良いと思います。

長さに対する幅、フリーボードの高さ、マストの高さ、いわゆるプロポーションですが、これらが、極端では無く、美しさを感じるヨット、そういうヨットはたいていは、性能が良いし、バランスも良い。そこに経済という観念が働き、売れるヨットを作り出そうとします。人々が何を求めているか、或いは、どこを強調したら、売れるようになるか、そういう事がプロポーションを壊してしまう事になります。
導入の初期段階では、そういう事もあるでしょう。でもそこを過ぎていきますと、再び美しさが求められるようになります。美しいという事は、人間にとって重要な要素であると思います。特に、ヨットなんかはそうだろうと思います。

美しいヨットに乗ったら、やっぱり走り方も美しく乗りたい。それで、そういうスムースな動きができるように練習するわけです。いろんな動きが無駄なく、省エネルギーで、滑らかに動く。人間がそうできるようになると、ヨットもそれに比例して滑らかに動く。これは簡単な事では無いかもしれませんが、そういう気持ちで、そういう事を目指して、帆走するというのも有りではないでしょうか。少しづつ練習して、学んで、そういう事に少しづつでも近づけるようになると、これも面白いヨットライフの演出になると思います。そういう滑らかさを持つようになると、自然にスピードも速くなる。そうしますと、ヨットそのものがいつでもきれいである事を望むし、走りもきれいに走れるようにメインテナンスもしたくなります。

美しいヨットを美しく走らせる。そういうセーリングを目指すのも良いんではないでしょうか。キャビンを楽しむヨットがあり、外洋を楽しむヨットがあり、沿岸を旅するヨットがある。それに加えて、デイセーリングを美しいヨットで美しく乗りこなす。そういう姿勢を推奨します。それは、その気になれば誰でもできる事であり、短時間でも良いわけですから、全てのヨットマンにお奨めしたいぐらいです。
遊びはかっこよく、自分の感じた美しいヨットで、自由自在、それが誰でも楽しめるヨットです。その美しさはきっとオーナーの気持ちを満足させてくれると思います。キャビンでエアコンが入って、快適な一晩を過ごす以上に、大きな充実感が沸いてくると思います。そして、ヨットは年数が経てば経つ程、使い込まれた美しさが出てくる。新艇の美しさとは違います。使い込まれ、手入れされたヨットは、美しさが滲み出る。オーナーの姿勢が良く解りますね。

ちょっと極端かもしれませんが、自分が気に入った美しいヨット、それさえあれば、性能とか考えなくても良いような気がします。何故なら、自分が美しいと感じたヨットは自然と自分の好みの帆走の仕方をも反映していると思うからです。そこに美しさを感じるものだと思うからです。ですから、自分の感性に従って選択するのが、最も間違わない選択の方法ではないかと思います。例えば、外洋に出ようかと本気で思う人は、そういう外洋ヨットに最も美しさを感じるものだと思います。いろんなヨットを見て、最も美しいと感じたヨット、それが今あなたが求めるヨットです。それが、油断しますと、つい、何人ぐらい寝泊りできるかとか理性が動き出します。それが失敗の始まりです。頭脳は本当の自分を知らない。知っているのは感性です。

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