第六話 発展途上国

発展途上国に最新鋭の機械を導入する。しかし、使いこなせなくて、サビだらけになってほったらかしになってしまう事があります。日本のヨットはそれに近いものがあるような気もします。ハードはその地の人々のライフスタイル、考え方、気質等々に合う物でなければならない。欧米では子供の頃からヨット経験を持つ者が多いと聞きます。でも、先日のデンマークからのメールでは16歳でオーナーというのも珍しく無いそうです。

車が普及する前にバイク、その前に自転車が普及すべきだったかもしれません。ひとつひとつの機器類がどうこうという前に、ヨット遊びというのがどんな物か馴染んでおく必要があったかもしれません。車は昔は小さくて、エアコンなんかなくて、オートマチックのギヤなんか無かった。テレビでアメリカのドラマなんか見ると、片腕を窓から出して、片腕でハンドルもって走らせてる。子供心に
どうやってるんだろうと思った事があります。初めてアメリカに行った時、それと同じ事をした覚えが
あります。何て快適なんだと思った記憶があります。

車は実用性があるので良い。しかし、ヨットには実用性が無い。自転車の普及の前にキャンピングカーが広がったようなものです。そのキャンピングカーをどのように使えば良いか。それは簡単でした。キャビンを使えば良い。パーティーをすれば良い。泊まれば良い。でも、それは日本には馴染まない。あるアメリカ人の話ですが、花見に行くとします。アメリカ人は朝起きて、今日は天気が良いし、花見にでも行くかと気軽に出かける。日本人は2,3日前から友人に電話して準備して、ご馳走用意して出かける。当日、雨になったらがっかり。アメリカ人は、もし急に天候が変わったら、それじゃ映画でも行こうかと気軽に変える。日本はもっと気軽になったらどうか、という話でした。
それが悪いわけじゃない。そういう気質なんですね、我々は。だから、経済も発展したのかもしれません。勤勉である事、何事もきちんとしようとする。とても良い事です。でも、反面、遊びの時はもう少しリラックスしたらどうか、と言われます。まじめに遊ぶ。

欧米にある比較的大きなヨットなんか、パーティーや宿泊やそして時折、沿岸のクルージング、と言ってもセーリングでは無く、エンジンで走る船旅、彼らもそういう使い方のようです。或いは、本格外洋です。長い発展の中で徐々にそうなって行った。一方、レースも非常に盛んで、また、一般の方々のセーリングを主としたスポーツ的な使い方をする方々も多い。彼らは選択するヨットがまた違っている。荷物をたくさん積み込んで、快適性を目指す者と、逆に荷物をどんどんおろして、セーリングを楽しむ派と二通りだそうです。

いきなりキャンピングカーを導入したもんですから、宴会もできる、宿泊もできる。でも、セーリングの面白さをまだ堪能していない。そういう中で、宴会がいくら好きでも毎月毎月やるか、毎週泊まるかといえば、そうはいかない。実際、欧米人はヨットは動かさなくても、マリーナには人がたくさん居ます。桟橋あるいてますと、コクピットで数人集まってビール片手におしゃべりしている連中がたくさん居る。時々、誘われる事も珍しく無い。彼らはオープンだし、気軽です。レジャーとして定着してます。毎週毎週ヨットに来て、週末をヨットを基点に過ごしている。彼らにとって社交の場になってる。
多分、彼らにとってヨットを出すかどうかはあまり重要では無いのかもしれません。そこに居て楽しければ良いのかもしれない。ぶらぶらしたり、それでも良いのかもしれない。

日本はと言いますと、しようと思えば同じ事ができますが、どうも違う。確かに泊まっている人も居るが非常に少ない。マリーナが寂しい。日本人は何か目標が必要なのかもしれない。仕事をする時何かの目標を持って、それに突き進む。それと同じで、何か目標がないと遊べないのかもしれません。宴会が目標、これは非常にわかり易い。でも、泊まるというのはちょっとあいまい。ですから、釣りをするとか、マリーナに来てできる何かの目標がないと、何をして良いか解らなくなる。そこに居る事が目標にはなりにくいのかもしれません。キャビンヨットを遊ぶには、マリーナに来て、何日
もそこで過ごせる人、ヨット出さなくても楽しめる人じゃないとできないような気がします。

これらの違いは、過去に歴史を持つ欧米では、セーリング派とキャビン派に別れてきた。でも、日本ではいきなりキャンピングカーから始めると、どうして良いかわからない。それで、もっと気軽なセーリングを楽しむところから始めるのが良いように思います。そういう歴史を踏んで、それぞれが、それぞれのしたい方向に向かうのが良いように思います。

それでも日本人気質は変わらない。目標をもって突き進むのが日本人です。ならば、目標をきちんと持ちましょう。わかり易いのはセーリングだという事です。レースしなくても、セーリング自体を普通に遊ぶ。よりスムースな走りを楽しむ。それができない時は宴会する。泊まる。そういう順位が良いと思うんです。日本人は勤勉ですから、欧米人はまじめに遊ぶとからかうかもしれないが、それでも良いじゃないですか。ならば、セーリングを追及して遊んでみましょう。欧米人が味わってない感動が味わえるかもしれません。

そうするとヨットの選択も変わってきます。キャビンライフ中心なら、でかい程良い事になりますが、セーリング中心なら、でかけりゃぁ良いというもんでもありません。このセーリングを中心に考えるというのは、これまでレーサーしか考えなかった。でも、これからはクルージング派もそれを楽しんだ方が良いとおもいます。快適に過ごせる冷蔵庫も、エアコンも温水も出無い。それでも、このヨットは帆走したら、とても面白いセーリングができるんだ。そういう気軽さから出発して、乗りこなせるようになったら、ヨットが身近に感じられて、気軽になって、馴染んできたら、それから必要なら、大きいのにしても遅くは無い。そして、最終的には自分にピッタリのサイズ、コンセプトというのが明確にわかるようになります。でも、乗りこんだ人にしか解らない。何十年ヨット持っていようが関係ありません。数年でも使いこなせば、解ってくる。そこまで早く到達できれば、もっともっと面白いヨットライフがトータルで楽しめる事になると思います。

過去にセーリングの歴史が少ない日本ですが、個人という事を考えますと、ほんの数年でもセーリングを使いこなしていきますと、個人の中に充分その歴史が刻まれる。その次に何が自分に必要か、何を求めてるかなんて考えるまでも無く、自然に生まれてくる。それが無いから、他人と同じヨットにしようとする。自分で選ぶ自信も根拠も無いからです。最終的にキャビンヨットであるにしても、その前にセーリングというヨット本来の歴史を個人の中に積んでおくのが良いと思います。それに何十年も費やす必要も無い。ほんの数年でも乗り込んで見れば解る。次にどうしたいかが、自然に生まれてくる。そういう人達が多くなっていきましたら、いろんなヨットが入ってくるようになるんでしょうね。大きいヨットから小さいヨットまで、そしてそれぞれが活き活きしてくる。

ある程度乗り込んだら、ヨットが体に馴染んできます。それは一生無くならない。子供の頃に自転車の練習して、乗れるようになって、遊んでいたら、それから何十年経って、久しぶりだとしても、自転車には即乗れる。これは即サイクリングが楽しめる。ヨットも同じだろうと思います。一旦体に馴染んだら、うまいへたは別です。馴染むという点で、一生残ると思います。ヨットを楽しむには、馴染むという感覚が必要かと思います。うまいへたの問題では無く、馴染む。これがあれば面白いセーリングができるようになる。気持ち的にです。で、それはうまくなるという事も自然に伴ってくると思います。おおいに仕事して、おおいに遊びましょう。

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