第十九話 ヨットはおもちゃ

ヨットはただのおもちゃ、遊びのおもちゃに過ぎない。そう思えば、どんなに気楽で、どんなにわくわくするだろう。そうしたら、自分がどんなヨットがほしいか、一発で解る。どんな風に遊びたいかもすぐに解る。そして、それは決して間違いは無い。ヨットはおもちゃ、子供がほしがるおもちゃと何ら変わりは無い。ただ、大きなおもちゃではあるが。

おもちゃで遊ぶコツは、子供になる事。その瞬間だけ子供になれる事でもある。無我夢中という言葉があるが、読んで字の如く、我を無くして、夢の中に居る。それは子供に返る事かもしれない。子供のように無我夢中になると、最高に楽しむ事ができる。子供はふんぞり帰って眺めているだけとかはしない。それを使いまわして、ひたすら遊びまくる。疲れるまで遊ぶ。他の事など考えたりしないし、時間も気にしない。本来、遊ぶというのはそういう事でしょう。

でも、大人は頭が回るので、時間を気にするし、回りも気にするし、その分遊べなくなる。楽しさが減じられる。でも、ヨットをおもちゃと意識してみよう。高いおもちゃには違いないが、自分で稼いだお金だ、誰に遠慮する事も無い。思いっきり好きなおもちゃを選んで、おもいっきり遊ぶ。そうじゃ無いとおもちゃはおもちゃとしての役を果たせない。そうなると、ヨットは本物の無駄になる。

おもちゃはおもちゃとして以外の役割をさせようと思うと、無理が生じる。そんな事を考えた瞬間に
おもちゃはおもちゃとしての役割が減じられ、その分、遊べ無くなる。確かに、ヨットにはいろんな役をさせる事ができる。でも、おもちゃ以外の役割をさせた途端に、人は余計な事を考える。夢とか言う言葉に翻弄される事もある。子供にとっておもちゃは夢では無く、現実、今遊んで楽しみたいという現実、ヨットに夢を描くのも良いが、それが過ぎると、今、現実として遊べ無くなる。それはおもちゃでは無くなってしまうから。遠い存在に追いやってしまう。夢は今では無く、未来にあり、遊びは今にある。描いていた夢が今できるなら、もはや夢では無く、今の遊び。そして、夢はまた未来に置かれる。

ヨットを遊ぶ最大のコツは、ヨットをおもちゃにして、今、思いっきり遊ぶ事にある。無我夢中で遊ぶ事にある。それは遠い未来の夢よりも、遥かに面白いものになる事に間違い無い。おもちゃだから思いっきり使いまわして、触りまくって、可愛がって、磨き上げて、そしてまた思いっきり使いまくろう。その方が面白いに決まっている。他人から見たら、下らない事も、遊びなんだから気にする事は無い。

大人になると夢中になって遊ぶ事が難しくなる。それは何故か?道具をおもちゃにせずに、別の何かにしてしまうからではないか。大人でも、夢中に遊べるなら、その方が楽しいはず。どうせ遊ぶなら夢中になれた方が面白いはず。では、割り切っていきましょう。ヨットはおもちゃ、おもちゃであると認識した時から、最高の面白さが味わえる。そう思うと気軽、そう思うとストレートに自分が出てくる。そう思うと、これで何ができるかでは無く、何をしたいかが先に出てくる。だから、ヨット選びは簡単になる。自分に相応しいヨットがどれであるか、ワクワクしながら選ぶ事ができる。本来、ヨットは何かに役立つ物では無く、完璧なおもちゃであるからこそ、面白い。

欧米ではそのおもちゃに住んでしまう連中が居る。住んでしまうと、それはおもちゃでは無くなり、家になる。家はまた別な面を持つ。だからそれは遊びから離れて、快適さだけを追求するようになる。そんな事に飽き飽きした連中が、デイセーラーを生み出した。再び、ヨットをおもちゃとして扱おうという試み。これからヨットはもっと楽しくなる。なにしろ、あんな狭いキャビンに住もうなんて考える連中は居ない。快適さへの追求もそれ程必要じゃない。ならば、もっとおもちゃに徹する事ができる。その事がヨットを面白くしている。割り切ってしまえば、こんなに面白いのか、という発見をしたに違いない。その証拠にいろんなおもちゃが作られるようになってきた。おもちゃは男の心をワクワクさせる。ワクワクさせないものはおもちゃじゃ無い。おもちゃじゃ無い遊び道具は面白く無い。男はいつまでたっても子供、否、子供になれる。だから男やるのは面白い。でも実際、思いっきり遊べる人は少ない。だからこそ、ヨットを完全におもちゃにしてしまいましょう。もっと楽しみましょう

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