第七十話 これからのヨット運営

昨今の社会の荒廃ぶりはどうでしょうか。多発する犯罪、自殺、豊かな社会であるはずなのに、こうも荒れるのは何故か?以前から、心の豊かさという言葉が言われてきましたが、それがどういう意味なのか、今一不確定でもあります。これだけ社会が荒廃してきたという事は、心の豊かさという事がもっと大切になるという事ではないかと思います。

現代社会は知識が重んじられます。人は常に何かを考え、分析し、答えを見出そうとします。しかし、いくら考えても、心の豊かさは出てこない。物質的豊かさは実現しても、精神という見えない物には、どうやったら良いかわからない。

人は考える事と感じる心があります。それは頭脳で言えば、右脳と左脳、現代は左脳偏重であり、その結果が現代の社会、とすれば、右脳を使ってみる事です。右脳というのは、今、いろいろ言われていますが、要は、感じる事ではないかと思います。それも、そのまま受け入れられる感覚ではないかと思います。つまり、自然の中から受ける感覚こそが、誰にでも、癒しを与えるものではないかと思う次第です。

人工的な物ですと、どうしても頭脳でああでも無い、こうでも無いとなる。でも、自然ですと受け入れるしかない。自然の中に見る、森の緑や夕陽の赤、青い空など、そういう物から受ける感覚は、誰をも癒してくれるものではないかと思います。コンクリートに囲まれながら、空を見上げても、たいして感じるものは無いかもしれませんが、自然の中に居て空を見上げると、違った感覚を得られるかもしれません。現代人に必要な事は、この自然から感じる感覚ではないかと思います。

考える事も大事ですが、感じる事もそれと同じぐらい大事ではないかと思います。それがこれからのテーマではないかと思います。その両方をバランスさせる事が大事なのではないかと思います。

人はヨットに乗ろうと思うと、知識偏重ですから、どういう風に運営をしようかと考えますが、大抵、その中にどう感じるかを考慮に入れていない。現代人の楽しさは人工的とも言えます。誰を呼んで、どこに行って、おいしい物食べて、温泉につかって、云々。でも、そこに、海でセーリングして、感じる事を重視していく事をお奨めします。ヨットを走らせるには知識も必要ですが、同時に感じる事もできます。実にうまくバランスしていると思います。そこに、スリルがあり、ヨットのバランスがあり、夕陽の美しさ、魚の群れ、はっとするような瞬間、はらはらする瞬間、感動、全て作られたものでは無く、自然の中に居る時に感じる事柄は、そのまま感受され、心に蓄積されていく。それは、人工的な知識でどうこうでは無い、本来の自分で感じる事ですから、感じた事が自分そのものなのではないでしょうか。それが自分を取り戻す事になる。だから心地良い。知識は人工的だが、感じる心は自然なのではないかと思います。

ヨットは人工であり、いくら美しいヨットであっても、永遠ではありえない。数百年前の夕陽も、そして今見る夕陽もやはり変わらず美しい。ですから、いくらヨットが美しいとは言っても、自然には敵わない。ですから、自然が持つ美しさに触れる事が良いわけですが、そうしようと思う気持ちが無いと、同じ自然の中に居ても意味は無くなる。

忙しい現代人、それを良しとする現代人、それをちょっと切り替えて、数時間でも自然の中で過ごしてみる。そうすると、何かが変わるかもしれません。ヨットにキャビンは不要とは言いません。私も少しぐらいはほしいと思います。でも、大きなキャビンは不要、何故なら、大きなキャビンは人を惑わせる。セーリングから人を遠ざける。無いなら、誰も考えないのに、あるが故に、ああしよう、こうしようと考える。でも、それは人工的なのです。せっかくなら、どっぷり、短時間でも自然に浸ってみるのはいかがでしょうか。きっと、何かが変わると思います。セーリングに専心するだけで、人は蘇る。豊かになる。そう思います。豊かな心は幸福感をもたらし、発想力も増し、それで居て、自分自身も見失う事が無い。頭脳と心を均衡させるために、セーリングに専心して、感じる心を養う。これからのヨット運営の決め手はこれです。

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