第七十四話 パーフェクトセーリング

シングルでセーリングに専心して、セーリングの醍醐味を味わいながら、徐々に腕を上げ、その上達ぶりを楽しみ、自由自在に乗りこなしていく過程を楽しみ、セーリングの何とも言えない味わいを楽しむ。それがセーリングの目的です。そこには何十年と続けていく喜びがあります。

しかしながら、敢えて言えば、そこにもうひとつ加えていただきたいものがあります。こうやってセーリングに専心すれば、相応の面白味がありますが、それにもうひとつ加えると、パーフェクトなセーリングになるのではないかと思います。

それは自分が愛する誰か、奥さんや子供や友人や彼女でも、誰かを年に1回でも乗せて上げる事です。そして、セーリングの面白さを分かつ事です。自分の専心してきた事、自分が堪能してきた事、そういうものを一緒に味わう事です。シングルセーリングで自分が堪能して、99%、それでも完璧ではありません。喜びを分かつ事で100%、完璧になると思います。

自分がセーリングを堪能するという日常のセーリングがあってこそ、その1%である分かつ行為が生きてきます。それが無いなら、たいした意味も無くなります。自分が練習して、専心しているからこそ、喜びを分かつ行為は非常に大きな意味をもってくると思います。

自分ひとりが悦にいるだけでは、完璧では無い。完璧は腕の良し悪しでは無く、気持ちの問題です。日頃、専心しているからこそ、その気持ちの充実度が高いからこそ、その喜びを分かつところに意味があると思います。

こうやって、ほんのたまに誰かを乗せてあげる事、気持ちを分ける事によって、パーフェクトセーリングになると思います。乗せてあげるだけでは充分ではありません。日頃の充実度があって、はじめてパーフェクトになるのだろうと思います。

結局、完璧にするには、自分だけではできない。誰かと、分かつ事によって、人は最大の喜びを得る事ができるのだろうと思います。この事は誰でも知っています。ですから、人を乗せたいと思います。しかし、日常におけるセーリングの充実度が低い場合、分かつ事も低くなります。それではパーフェクトにはなりません。自分が堪能し、専心し、面白がる事がまずは大切かと思います。そのうえで、愛する誰かを乗せてあげるわけです。そうすると、充実度はぐっと上がる。

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