第五十六話 転換期

かみさんのおばあちゃんは98歳、まだまだ元気ですが、考えてみれば、それから遡る事50年前は江戸時代。ちょんまげの時代です。この150年で急激に変化してきました。それは大量生産、大量消費に象徴され、暮らしは豊かになりましたが、このところ、いろいろ問題が出てきました。
どうも針路変更の必要性がありそうです。

資源の問題、環境の問題、国際間はエゴむき出しだし、それは個人でも同じ。全てが、針路変更を余儀なくされてきているのかもしれません。資本主義の転換期かもしれません。物が不足している時代は大事にしたもんですが、溢れる時代には使い捨て。

転換期というのは嫌な事も多いのですが、それは良い方向への変化でしょうから、少しづつ良くなる。物が大事にされ、環境を大事にして、なおかつ調和が生まれる。そういう時代への始まりかもしれません。昔、アインシュタインが世界を救うのは日本だと言った。案外そうかもしれません。日本は和をもって尊しとなす。

今はヨットは低迷期、しかし、これからは、のんびりと自然と戯れる。そういう時代?人工的につくった快楽の追求より、自然にある面白さを求める時代かもしれません。コンピューターを使ったゲームより、自然のゲームの方が面白いという時代になるかもしれません?そうなるには、まだまだいろんな事が起きて、いろんな体験をして、みんなが考える。こうではいかんとか言う事が総意になってくるとはじめて変わる。時代、流れなどは、変えるというより、自然と変わるものなのかもしれません。誰かが変えるなんて事は無い。

私はセーリング、セーリングと言い続けていますが、それで何かが変わるわけじゃない。そこには、現状において、みんなが今の状態で満足なら何ら変わる事は無い。でも、もし、多くの方々が、不満足なら、変わる可能性はありますね。兎に角、ヨットは手に入れたが、どう使ったら良いか解らない。周りを見渡しても同じようなもんだから、それで良しとする。自分だけ、レースでも無いのに、セーリング、セーリングとやるのも違和感を覚える。何となく。でも、動かないヨットをたくさん見る度に、これにも違和感を感じてくる。こんな所から、次の流れが始るのではないでしょうか?

我々はあらゆる物事の転換期に居るのではないか?あらゆる空間と時間を物で埋め尽くす事に専念してきた。そういう時代から、一歩下がって、そういう事が楽しいのか、嬉しいのか、という個人的な主観と、同時に全体においても、調和しているのか、という事が自然に意識に上がってくるようになるのでは?個人から全体へ、個人も大事にしながら、全体も考える時代。

ひとりでも多くの方々が、ヨットをやって心から楽しむ事が、全体にも寄与する。楽しさがマリーナに蔓延します。その為には、各個人はまずは自分が楽しむ必要がある。楽しくないオーラを発散してはいけません。楽しいオーラを出す事が全体にとって良い事です。その為には、自分に本当にあった遊び方をしなければならない。仕事の都合や家族の都合、各個人はそれぞれに違った環境を持っていますから、自分にあった遊び方で楽しむ。キャビンヨットばかりがクルージング派に良いわけじゃないし、買い替えの度にサイズアップするのが良いわけじゃない。将来はどう変化するかも解らないので、今、できる事で、最も面白い方法で遊ぶ。先は先の事。

何かをしなければならないわけじゃありませんが、ひとつだけあるとするなら、心から楽しむ事ではないでしょうか?楽しむ方法はいろいろある。それで、そのひとつとして、セーリングをしましょうという事です。セーリングをしますと、どこかに行くセーリングでは無く、ただセーリングです。すると、何もかも忘れて、セーリングに集中する。損も無ければ得も無い。そんな無駄な事、資本主義からすると無駄な事に集中する事、そこに至福の時がある。贅沢な時です。何の思惑も働かないので、癒される。

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