第六十五話 遊び方の変化

現代社会はいろいろな事が問題化し、いろいろな論議がなされています。環境問題、年金、ガソリンの暫定税、格差社会、いろいろですが、それらは見方によっては、問題視されている事が変化のきっかかりと見れば、その先は良い事になりそうな気がします。問題視される事は、そのままで良いとは思っていないという事でしょうから。

変化は社会だけでは無く、ヨット遊びについても言えると思います。それは問題視ではありませんが、何となく、変化を求めているのではないかと思います。昔は、ヨットはレースに出るのが結構多かった。クルーもたくさん居ました。それがだんだん、レースから離れ、クルージングに向かう。この事が原因かどうかはわかりませんが、クルーが不足してきた。その事もクルージング化に向かう後押しをしてきました。最小クルーでも動かせる。

世の中がクルージングに向かうにつれ、キャビンが大きくなっていきます。装備もそういう便利、快適装備がついてくる。20年ぐらい前はジブファーラーなんてオプションでした。でも、その後、標準になり、冷蔵庫が標準になり、温水が標準になってきた。それが今では当たり前と感じます。それが、今度は昔ではオプション設定さえ無かった、メインセールのファーリング、電動ウィンチ、そういう物が標準では無いけれども、オプション設定されてきました。クルージングというジャンルにおける、装備の拡充、それが一杯になってきた頃、次には操作がより簡易になるような装備が設定されてきました。やがて、それらが標準になっていく時も近いかもしれません。多分、その次に何を設置したら、より便利かという事が出てきた時には、前記の装備が標準になる。

レーサーは相変わらず、レーシングの世界で次々に開発されています。速さを求め、より有利なレーティングを求めています。このレースの世界は昔から、目的は同じですから、レースで勝つ事が目的ですから、実に明快です。その明快な目的に対して、アプローチの仕方が変化しています。

ところが、クルージングの変遷の中で、別な流れが出てきました。特にアメリカで顕著になり、続いて、ヨーロッパにもその兆候が現われ、どんどん進んでいます。ヨット先進国で顕著に出てくるという事は本物の流れだと思います。言わずと知れたデイセーラーなんですが、何故、デイセーラーなのか?

クルージング艇が拡大する中、その内容を観察しますと、セーリング離れがあるように思います。クルージング艇の目的が、セーリングから離れてきている。それでもセール自体が無くなるわけでは無いので、そのセーリング離れに気がつかなかった。でも、セーリング自体の質は確実に変化し、よりイージーだけれども、質は違ってきています。その事に気が付いた一部の人達、彼らは、もはや昔のようなクルーをたくさん擁して、昔のスタイルに戻るつもりは無い。しかし、セーリングの質を向上させて、セーリングそのものを味わいたいと願った。つまり、簡易な操作でありながらも、セーリングの高い質を願った。

もはや、クルーをたくさん集めてセーリングするのは難しいし、それらを維持するなんて御免こうむりたい。でも、セーリングは楽しみたい。それもできるだけ質の高いセーリングを。そういう流れで、デイセーラーが迎えられた。彼らにとっては、キャビンの寛ぎより、エキサイティングだし、面白いと感じた。そういう人達が増えてきている。よって、他の造船所も、このマーケットを狙って出てきた。
つまり、クルージング派の遊びは、クルージングとセーリングに分かれてきた。セーリング派はまだまだクルージングというジャンルの世界ではマイナーです。しかし、確実に変化が出てきた事は事実です。クルージング派がクルージング派のままセーリングを楽しむ時代、それがこれからの新しい遊び方かと思います。

それでセーリングしますと、面白いんです。それは今までのクルージングとは別な世界です。それも勝つ為では無く、単純に味わう為にです。勝つ為でも無く、どこかに行く為でも無く、ただ味わう為、それが良いんだと思います。

今はいろんな事が変化をする始まりの時、今までの何かを変えようとしますと、いろいろ問題もあるかもしれません。しかし、確実に良い方向に向かう。まずは問題に気付く事から始ります。今までのヨットライフに満足だったでしょうか?これから先も今まで通りで良いのでしょうか?別に問題というわけではありませんが、たかが遊びなんですから、心の向くままに冒険してはどうでしょう。味わいを主とした時、失敗は有り得ない。目的地があれば着かないと困る。レースに出れば負けると悔しい。でも、味わいは何の失敗も無い。全てがそのまま達成される。今日は、どんなかな、と思うだけです。それで、たまにですがしびれるようなセーリングができる。それだけで充分では無いでしょうか?

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