第百話 心で乗る

ヨットに乗るには基本的な知識と技術が必要になります。本屋に行けば、ハウツー本がありますので、それをじっくり読んで、そして実践の積み重ねをしていけば誰でもヨットに乗れるようになる。そして、もっともっと練習していけば、レベルも高くなります。誰でもうまくなる。

誰でも、その気になれば上手に乗る事ができるようになる。誰でもうまくなりたい。何度も乗り続ければ、自然にうまくなる。しかしながら、最終的な目標は、究極の目標は、うまくなる事もそうですが、面白い、楽しい、充実感、感動、そういう心の問題になるかと思います。いくらうまくても、つまらないと感じていたのでは、意味は無い。

何かを始める時、ハウツー本を買って読みます。知識としての技術を身に付けようと考えます。それはそれで正解だと思いますが、何をするにしても、それが面白いかどうかが、最終的に重要な事かと思います。面白く無いと長く続ける事は無理があり、長く続けないとうまくならない。上手になる事と面白い事は、同時に育てるものかと思います。面白ければ、続ける事ができて、誰でもうまくなる。うまくなれば、もっと面白くなって、この二つは相乗効果が出てきます。面白さが欠けてきますと、うまくなりたいという気持ちも無くなってくる。

最初は誰でも面白い。面白いですから何度も乗りたくなります。それで少しづつ上手になって、何とか乗れるようになる。ところが、ここらあたりで問題が起きます。心は本来怠け者です。何かチャンスがあるとすぐに楽な方に行きたくなる。最初は面白くて、どんどん乗ったのに、ある程度乗れるようになりますと、怠け心が沸いて、楽をしたくなります。それ以上うまくとは考えなくなる。すると、面白さもそこまでです。そのレベルにずっと居ますと、同じレベルですから、だんだん以前のような充実感もなくなる。それでだんだん面白さが消えうせてしまう。

怠け心、楽したい心、これをひとつ乗り越える必要があります。たかが遊びですから、そこまで考えなくてもとも思いますが、しかし、別にヨットでなくても、何をするにしても同じ事かと思います。ヨットをやるなら、或いは他の遊びでも良いのですが、やるなら、この怠け心を乗り越えないと、本当の面白さを味わう事が出来なくなる。たかが遊びですが、遊びといえども本当に面白さを味わうには、やはり楽してはできないのではないかと思います。

スポーツにしても、楽器を習うにしても、絵や陶芸でも、楽ばかりでは無い。そこには怠け心を乗り越えた人だけがうまくなる。そして乗り越えた人が本当の面白さを感じる事ができるのではないかと思います。そのハードルを越える原動力はうまくなりたいという気持ちにあると思います。もっと知りたいという気持ちにあると思います。

しかしながら、技術だけに走るとまたこれも少し違うような気もします。うまくなれば、確かにその分の高いレベルの世界に導かれますが、うまいだけでは不十分で、そのレベルの気持ちを感じてこそ本当の面白さになるのではないかと思います。つまり、上手くなりたい、向上したいは大事な気持ちですが、何故うまくなりたいか?その動機が必要になる。その動機は心が、楽したいという気持ちを乗り越えて、もっといろんな事を感じたいと思う事によって、うまくなりたいにリードされるのではないか?

それには目標があればやり易い。セーリング派の目標は自由自在という事でいかがでしょうか?体と頭脳と、ヨットという道具を使って、自由自在に乗り回し、そしてその自由自在セーリングの感じを味わう。いろんな感じを味わう。そうしたらどんなに面白いだろうか?ヨットは道具、技術も道具、目的はフィーリングにある。ですから、道具は良い方が良い。良い道具はオーナーを助けてくれます。グッドフィーリングにより早く導いてくれます。それがヨット選びですし、技術は自分で向上させねばならない。

何もそこまで考えなくても?という考え方もあります。でも、やった人は確実にレベルの違うグッドフィーリングに出会う事ができると思います。ヨットは心で乗る。心が怠けると、面白さもそこまで。
そう考えますと、遊びも楽じゃない。それでもやるか、どうか?強制はありません。

自分の技術や動作に重点を置きますと、怠け心がそれを拒む事がある。もう良いや、と思う事がある、面倒だと思う事があります。それで、重点を気持ちに置く。動作自体には、できるだけ気持ちを挟まない。頭脳は使うが、そこに怠け心が入りだすと間髪を入れずに、打ち消す必要がある。それには、自分の感じを認識しておく必要がある。楽しても良い。ただ、自分の気持ちを認識して、解ったうえで楽をする。そうしないと、無意識のうちに楽をしてしまうと、それが普通になってしまう。今、楽をしていると解ってするのであれば、次の時に引きずらないと思います。

という事は、常に自分の心を認識して、どういう乗り方をしているかを感じておく必要がある。そうすれば、怠け心を自分でコントロールできるのではないかと思います。人間ですから、たまにはさぼりたい。それはそれで良い。それが解っているかどうかだと思います。そうやって、最終的には自由自在を目指す。すると、どうなっていくか?これは楽しみですね。何をするにしても、動作は体と頭脳を使いますが、やるのは心ではないかと思います。心次第。頭脳に命令するのも心です。感じるのも心です。面白さも、退屈感も、みんな心です。ヨットがあって、体があって、それに命令する頭脳があって、その頭脳に命令するのが心です。ですから、心で乗って、心で感じる。事の始まりが心で、最後も心。あとは全て手段、道具にすぎない。でも、その道具も心には欠かせない。良い道具は助けてくれますから。

誰でも良い道具がほしくなります。面白さが解ると余計そうなる。うまいセーリング技術と良いヨットです。ここから繰り出されるフィーリングはどんなものか?と想像します。それで、その二つを手に入れて、存分に遊ぶ。そして、さらに高いレベルにいくと、どうなるか?多分、ヨットにはこだわらなくなるのかもしれません。いかなるヨットであれ、そのヨットの特徴を見出し、そのまま味わって、それも面白く感じられるのかもしれません。でも、その前に、自分の面白さを追求してこそでしょう。

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