第二十一話 陸と海

そもそも、陸と海は基本が違う。陸は我々が生活している場ですから、体が慣れています。通常の生活での重力や摩擦や、いろんな条件に慣れているわけですが、海というのは、我々の生活の場ではありませんので、基本的に自然現象が異なる。だからこそ、面白そうだ、怖そうだ、いろんな感覚を得る事になります。言わば、冒険の一種であります。冒険を避けたいなら、海には出無い事ですね、海に出るというだけで、既に冒険の旅に出た事になる。

陸上の最もベースになるのは、固定された、安定した地面という事になります。これがあってこそ、家を建てたり、歩いたり、車や自転車なんかに乗る事ができる。地面は動かないのが原則です。その原則の上に全てが成り立っていますから、地震なんかきますと大騒ぎになりますね。

一方、海は常に揺れている事になりますので、陸上の基本とは全く違う。そこに乗り出そうというのですから、まあ、正気の沙汰ではない。しかし、人間には好奇心があって、それでも、どんなんかなと覗きたくなるものです。そうやって人類は海にも空にも、宇宙までも出かけてしまう。おおいなる人類の冒険魂ではありませんか。その冒険魂を支えるのが、”知る”事への好奇心、それは進化への好奇心、多分、人間にはそういうDNAが備わっているのかと思います。

人間の進化は、この知る事に始まるのではないかと思います。未知なるものを知る時、人間は喜びを感じるように出来てる。知る事が喜びなのであります。何かほしい物を手に入れるという事に、喜びを感じますが、それは、時間と共に、その感情は薄れていくものです。この感情が薄れるという現象がある事によって、我々は生きていく事ができる。悲しみにしても、時間とともに薄れるからです。では、知る事はどうでしょうか?

何かを知りえた時、我々は喜びを感じる。この喜びでさえ時とともに薄れていくのは同じ事でありますが、ひとつだけ違う事があります。それは知った事で、その知識が自分の土台に蓄積されていく事であります。通常の状態にあって、何かの物を手に入れた時の喜び、それが時とともの通常に戻る。悲しみも同じです。この知る事の蓄積は通常の状態のレベルが上がる事ではないかと思います。新しい知識を得て、喜びを感じ、それが薄れるにしても、知識を得る前ほどには戻らない。何故なら、新しい知識を得て、蓄積されたからであります。それが無形の財産でもあります。一生無くなる事の無いものです。

冒険はこの知識の蓄積に対する人間のDNAに含まれた好奇心ではないか?未知の世界に挑むチャレンジ精神はこの知識欲によって支えられている。という事は、海に出るという冒険心は、知る事によって、好奇心をかきたてられ、持続するもの。最初は誰でもそういう好奇心を持っていたはずです。つまり、セーリングは知る事の好奇心無しでは持続しないのではないか?

ヨットをやるというのは、知る事をベースに遊ぶ事。これがベースに必要なのではないか?家族団欒も良いし、ピクニックも良い。おおいに賛成であります。しかし、そこのベースには知るというチャレンジ精神無くしては、もはや面白いという感情は沸いてこないのではないか?宴会やピクニックをして楽しいというのは、物を手に入れるようなもの。一方、面白いというのは、自分のベースを引き上げる、知る事につながるのではないかと思います。この面白さこそが、遊びの最大のエネルギーをもたらす。ですから、ヨットをやるというのは、楽しさももちろんですが、面白さが無ければならない。そして、その面白さは知るという事によって、なされるのではないか?

知るという事は、すなわち、そのままで冒険であります。本を読んで知る。これも冒険であります。ヨットは本から、人の話から、そして自分の体験から知る事で完結されます。人の体験を知る事と自分の体験から知る事とは、全く次元が異なる。本は人の体験ですから、それはそれで貴重であります。一生の間に全てを体験する事は不可能ですから、それは本で知る。しかし、いかに本を読んでも自分の体験から得た知るという体験は、次元が異なる。よって、セーリングをするという事は、自分の体験で、知る事のDNAにある冒険心を実行すること。大事な事は知る事にあり。

ですから、ヨットやるなら、セーリングこそが未知の世界。それを実行しないと、知るという事が満たされない。よって冒険心が隠れてしまい、いつの間にか乗らなくなる。ヨットは冒険なんだと意識していれば、それは知る事への好奇心が沸き、飽きる事の無い世界に入っていけるのでは?

まあ、理屈はおいといて、知る事を求める姿勢、それは面白さを求める事と同じかと思いますので、セーリングをどんどんやってほしいと思います。家族団欒はおまけです。家族で乗ってもセーリングする事はできます。それが団欒が主体に、楽しさが主体になった時、要注意です。知る事への好奇心が薄れている。するとその延長は乗らなくなる可能性があります。

セーリングの知る事への可能性はいろいろあります。セーリングだけじゃない。アンカーの打ち方もあれば、ナビゲーションもある、桟橋の出航や入港の仕方もそうです。風に対する知識もそうです。旅先の散策もそうでしょう。長く、面白く、続けていく為には、自分の知る事への好奇心、DNAを持続しなければならない。それがベースに必要でしょうし、その知識を得る度に、自分の通常のレベルが少しづつ上がって、それこそ財産を築いている事にも気付くべきでしょう。

知る事の探求は、いろいろありますが、その中でもセーリングにはたっぷりの未知の世界があります。ですから、セーリングという冒険に入りましょう。それが最も面白く、あなたのDNAを刺激すると思います。

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