第八十四話 ひとり

ただひとりで操船できるというだけでは無く、ひとりで乗るという事は全てをひとりで引き受けるという事になります。そういう意味では、ひとりというのは楽しいわけでは無いような気がします。ヨットがシングルハンド仕様になっていて、ひとりでも操船できるようになっていたとしても、だからと言って、誰でもひとりで乗れるかと言いますと、物理的には可能なのですが、やはりひとりで全てを引き受けるという一種の覚悟が必要になる。何が起こっても、自分だけなのですから。

シングルハンドで乗る場合、ヨットがシングルハンド仕様であれば乗りやすくなります。しかし、その前にシングルで乗るという気持ちが重要になると思います。それは友人と乗る楽しさは無い。しかしながら、それに代わる何かがある。だからシングルでも乗る価値がある。初めての時は、自分だけという、ある種の緊張感がある。それに慣れると、自分のしたいようにできるという自由がある。
いろんなセーリングを試す事ができます。それは楽しさというより面白さかと思います。自然とセーリングに集中するようになるし、そして常にある種の緊張感も感じる。そこに面白さも感じるようになると思います。

和気あいあいの楽しさを味わうのとは違い、緊張感と自由と面白さを味わおうという気持ちが無いと、なかなかひとりでは乗れるものでは無いような気がします。そう思った方にとって、シングルハンド仕様のヨットは良いわけです。どんなヨットでもひとりで乗るのと、二人で乗るのとは、全く異なる。例え、もうひとりの方がヨットを全く知らないにしても、全く違うと思います。

という事で、シングルで乗る方のセーリングの世界は全く異なると思います。和気あいあいの楽しさは無く、静かな緊張感が漂う。その緊張感に慣れ、それを乗り越えて、その緊張感をも楽しむ事ができる。そうなった時、はじめてセーリングの面白さが出てくるのかもしれません。そのうえで、いろんなセーリングを試し、味わう面白さは別格かと思います。行くも自由、帰るも自由、全ては自分にかかってくる。それだけに、面白さは別格なのだろうと思います。ひとりと二人以上とは全く違う世界かもしれません。

ひとりの時は緊張します。その緊張感があるからこそ、集中力が増幅されます。その集中力があるからこそ敏感になり、わずかな変化を感じる事ができるようになる。ですから、微妙な調整をもその変化を感じる事ができるようになる。腕が良いから解るというのでは無く、集中しているから解るのだろうと思います。それが感じられるようになると、それが面白さになる。味わう事になります。微妙な変化を味わう事ができる。

シングルにおいて、こういう味わいを体験しておきますと、別な日に誰かと一緒に乗る時でも、瞬間の集中力が発揮される。何人も乗っていても、瞬間の集中力で、その変化を味わう事ができると思います。つまり、シングルで乗る事によって、そういう感性が磨かれていくのではないかと思う次第です。

そこまでしてセーリングしたくないと思う方もおられるでしょうし、それはそれで良い。でも、セーリングに興味があるなら、時折シングルセーリングして、そういう感性を磨くと考えますと、セーリングのもう少し奥が見えてくるような気がします。腕が良いの悪いのは、実はどうでも良い事かもしれません。それより、感性が磨かれて、変化が感じ取れる事が大切かもしれません。でも、感性が磨かれると変化が感じられ、必然的に徐々にうまくなる。本を読んで知識だけでうまいのとは全く違う、身についたセーリングではないかと思います。こういうセーリングは面白いと感じるのではないかと思います。うまいかへたかなんてどうでも良い。感じる事が大事かと思います。楽しいヨット遊びから、面白いヨット遊びへと変化する。

そういう事をしようかなと思うと、やはりシングルハンド仕様のヨットは都合が良いわけです。時折シングルを味わう事によって、セーリングに対する感性は変わっていくのではないかと思う次第です。
という事で、ヨット遊びには、楽しい遊びと面白い遊びと、二種類あると思います。前者は緊張感は緩み、後者はピンと張りつめるのではないか。どちらが良いわけでも無く、何を味わいたいかでしょう。楽しさか、面白さか?

こういう集中はひとりの時だけかと言いますと、レースなんかではみんな集中しています。こういう風に、同じ目的を持つ同士が乗る事が必要でしょうね。普通は、これがなかなか難しい。人数が多くなればなる程難しくなるのではないでしょうか?ですから、シングルとなる。

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