第二話 緊張感は集中力

何をするにしてもそうですが、本当に面白さを感じる時というのは、どんな時でしょうか?多分、自分のしている事に集中している時ではないか、そういう時間を持った時ではないかと思います。それは緊張の時ではないでしょうか?

緊張と言ってもいろいろあります。危険性を感じる時、人前で何か発表する時、何か新しい事に挑戦する時、そして、面白さに集中している時は一種の緊張感だと思います。この緊張感は人によって求める度合いがあり、例えば、人によっては極度の危険を帯びた緊張感を求める人も居ます。例えば、ロッククライミングとか、冬山登山とか、生命の危険と隣あわせにおける緊張感を求める方もおられます。彼らにとって、危険ではありますが、それが彼らの面白さなのでしょう。

もちろん、多くの人達はそこまでの緊張感を求める事はありません。彼らは、特殊な人達、冒険家の部類でしょう。我々は、そこまで求めるわけではありません。しかし、緊張感の度合いの違いはあれ、面白さには緊張感を伴う事には違いないと思います。逆に、緊張感の伴わない面白さというのはあるのだろうか、とさえ思います。あのテレビゲームでさえ、本人は緊張感を持っている。緊張感があるから集中していると思います。

緊張感を伴なわない遊び、それは楽しさだと思います。みんなで飲んで食って、楽しい、家族で遊園地、旅行、それらはみんな楽しい。ここに緊張感はありません。弛緩です。神経も緩んでいます。緩んでいるからこそ、楽であり、楽しさがある。

ヨットで、みんなでピクニックセーリングする時、緊張感はあまり無い。のんびりできて楽しさがあります。それはそれで良いわけです。誰でも、ある程度慣れてきますと、緊張感がほぐれ、次に楽を求めるようになる。人間の心は本来怠け者ですから、そうなる事が多い。楽をする為にいろんな装備を付けたりします。そうなってきますと、楽に操船して、楽なセーリングをと考える。楽に操船できるのは良いのですが、楽ばかりを考えますと、緊張感に欠けてくる。そしてこれが無いと面白さが欠けてくるのではないか?

ヨットに限らず、面白さを見出そうと思いますと、やはり航程のどこかで、集中(緊張)を持つ必要があると思います。それは決して危険と隣あわせの緊張とかでは無く、自分が集中できる場面です。
その集中した時間が、あれば、その後に必ず緩和が訪れます。ずっと緊張しておけるものでもありません。緊張し、一息つき、そういう繰り返しになると思いますが、その緊張があればきっと面白かったという実感が湧いてくると思います。

もし、達人なら、微風の時にでも集中力を発揮できるかもしれません。集中していればこそ、他が気付かない事にも気付くでしょう。そうなります、いかなる時にも、緊張をコントロールできるのであれば、いかなる時も面白さを発見できるのかもしれません。まあ、これは達人の域だろうと思いますが、我々にしても、興味を持って、いかに集中力を発揮できるか、面白さはこのあたりに潜んでいるのではないかと思う次第です。緊張感を遊ぶという感覚を得る事ができたなら、きっと面白く、もっと発展させる事ができるのではないか、と思います。これは自分の怠け心と対立します。という事は、そこには努力が必要になる。面白さや充実感、感動、そういう事を味わいたいと思うなら、自分の怠け心をちょっと乗り越える必要があるのかもしれません。楽は楽しさ、でも、そればかりでは退屈感が出てきます。それでちょっと頑張って、緊張感(集中力)を味わうと状況はがらりと変わるのではないでしょうか?

他のスポーツもみんなどこかに緊張感をたずさえています。緊張感の無い野球やサッカーなどを見ても、ちっとも面白く無い。釣りにしても、緊張感があります。絵画でも、音楽でも緊張感がある。その緊張感を無くした時、面白さは無くなると思います。楽しさや楽だけでは、そのうち飽きてくる。
それは知らず知らずのうちにやってきます。何しろ、心は怠け者ですから。何かと楽をしたがるのです。そのままに流れていきますと、いつの間にか何か面白く無い、という事になりはしないか?

人によって好みの緊張感があると思います。生命に関わる緊張感を求める人から、もっとゆったりした中でも緊張感を持つ事ができる人も居る。そこで、自分の好みの緊張感を探ってみてはいかがでしょう?きっとそこには自分独自の面白さがきっとあると思います。緊張と緩和を是非意識してみてください。

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