第二十五話 想像力

簡単に一言で遊びと言いましても、何をどうやって遊ぶかを考えますと、そこには想像力が必要になってきます。何をしたら、どんな風に楽しいのか、面白いのか、そういう想像力が必要になります。

現代は何でもある時代。サービスの時代、テレビや芝居、映画、遊園地、テーマパーク、旅行に行っても、そこでいろんなサービスがあり、つまりエンターテインメントがあり、いろいろと遊んでくれますから、想像力はあまり必要ではなくなったのかもしれません。それに慣れてきた我々は、想像力が衰え、逆にエンターテインメント性があまり無いと、面白く無いと感じるようになってきました。子供はゲームで遊び、おもちゃで遊ぶ。何でもある時代です。昔はそれらが無かったので、自分達で遊びを作って遊んでいたかと思います。

つまり、想像力が衰えてきた我々は、誰かに、何かに遊んでもらわないと遊べなくなってきているのかもしれません。そこでヨットです。ヨットというおもちゃはある。しかし、それでどうやって遊ぶのかを想像しなければなりません。昔のように、想像力を駆使して、いろんな遊び方を工夫しなければなりません。前にも書きましたが、ヨット遊びに関しては、エンターテインメント性が低い、よって誰でも遊んでくれないなら、自分で想像するしかない。これは面倒くさいようで、実は、想像力をつけるには良いのかもしれません。こうしたら、どうなるだろうか、勝手にその場だけのルールを造ったり、そういう遊びは、きっと充実感を感じてくるのではないかと思います。

それら想像力は、いろんな場面を楽しく変える能力となっていくのではないかと思います。同じ事をするにしても、遊びでも、仕事でも、あらゆる場面で、ちょっと遊び心を発揮する。この遊び心は想像力が欠けていますと、ぱっとできるものでは無い。

よって、ヨットというジャンルにおいて、どんな想像ができるのか、それらを考えてみるのも悪く無いような気がします。どこかに行って、飯食ってくる。友人を招待して、宴会を楽しむ、そういう事以外に、いろんな遊び方を考えてみる。現代人に必要な事かもしれません。

遊びは何も、快楽を得るという事に限るものでは無く、興味を持ち、それを確かめたり、疑問に回答を求めようと試したり、学ぶ事も遊びになると思います。きまりきった遊び方で過ごすのは、実に楽ではありますが、いつの間にかそれに慣れてしまった我々は、一体どうなのか?遊びは想像力を養う。しかし、想像しながら遊んでいればの話、想像力は人生を豊かににするひとつの手段でもあるかもしれません。

もしそうなら、エンターテインメント性が低いというのは、悪い事とは限らない。そこで遊べる人は想像力豊かで、或いはこれから遊ぶ事によって想像力は養われていくのではないかと思います。
それで、想像力というのが必要なのかと考えますと、あった方が良いし、それが豊かならもっと良い。何故なら、我々は自分の想像できない事はできないと思うからです。その想像が豊かであれば、もっといろんな事ができる。あらゆる発明は、まずは想像から始まります。発明のようなたいそうな事では無くても、行動は想像に限定される。時に、想像もつかない事が起こるとか言いますが、それはその事は想像できて、今起こる事を予期していなかったに過ぎない。ですから、想像力が豊かになるという事は、楽しさ、面白さの源かもしれません。でなければ、決まりきったパターンの繰り返しという事になるかもしれません。

次へ      目次へ