第六十八話 スリル

セーリングをすれば、少なからずその中にはスリルも入ってきます。そのスリルを楽しむ事ができるか、或いは恐怖感の方が強いか?これは人によって異なります。ある人は冒険を好み、ある人は安定を望みます。

セーリングをしていますと、高い波や強風に出会う事が必ずあります。また旅なんかしますと、特にそういう事に遭遇するわけですが、そのスリルを恐怖感としてできるだけ避けるという事もありますが、程度によってはそれを面白いと感じる事もあります。

絶対的な安全というのは有り得ないですが、かなり高い安全性というのはあります。或いは、信頼度とも言えると思います。若い女の子が遊園地のぐるぐる回るジェットコースターを、キャーキャー言いながらも楽しんでいます。その女の子がヨットで、時化ると怖がる。この差は一体何でしょう?
ジェットコースターも絶対安全とは言えません。実際に事故もあります。しかしながら、根底には完全に信頼していると言えると思います。そうでなければ、あんなもん乗れません。それともうひとつは乗る側に操縦の裁量が無いという事です。うまいかへたかで、安全度が変わるわけではありません。もし、ジェットコースターを自分で操縦しなければならないとしたら、安全への信頼度はぐっと低くなるでしょう。

という事は、スリルを面白く感じる為には、根底に安全性の高さ、それへの信頼がなければならない。つまり、ヨットがいかに安全であるか、操縦者がいかに信頼できる人であるのか、その信頼が深ければ深いほど、スリルを面白さに変えることができるのではないかと思います。それはまた、同乗者のみならず、自分自身においても同様かと思います。

強風の中に出航するか、しないか?それはヨットに対する信頼度と自分に対する信頼度によって決まるかと思います。敢えて、危険を犯す必要はありませんが、あまりにも吹かない時にしか出無いというのも、面白さをかなり失う結果をもたらします。ですから、信頼できるヨットに、自分の腕は練習を重ねて、信頼度を深めていく。そうすれば、かなり面白さの枠は広がるかと思います。

人生80年と以前書きましたが、80年生きていれば良いというわけでは無いと思います。それより質の問題かと思います。長い、短いの問題では無く、いかにという問題です。ヨットも同様で、乗れば良いというより、いかにという事が重要。質を高める事を意識しておく事は、とっても大事な事かなと思います。それは何も快走だけでは無く、快走もその他も全部含めて受け入れる姿勢が必要でしょう。何をするにしても、都合の良い事だけとはいきません。全部受け入れなければ、快走も無くなってしまいます。すると、ただ乗ってるだけになりかねません。

次へ       目次へ