第百話 我侭のすすめ

21世紀は面白さ重視の時代。20世紀は便利の時代でした。そしてかなりそれらは達成されてきました。さて、今度は面白さを追及してみましょう。便利は良いのですが、便利が必ずしも面白いかと言いますと、そうは行きません。人は何故、しんどい思いをしてまで、山に登ったり、スキーしたり、スポーツしたりするのか?そこには便利さでは得られない、面白さがあるからでしょう。

ヨットは面白いものでなければならない。便利も良いが、それ以上に面白くなければ長く続ける事はできません。ヨットはちょっとかじって、すぐにやめてしまうような代物ではありません。初年度は基本的な操作を学びますが、2年目、3年目と、その操船技術は洗練されていき、それに連れて、少しづつではありますが、違う世界を見せてくれます。

ヨットはモーターボートとは違う。何故、ヨットなのか?便利さなら絶対ボートなのです。その最も大きな違いはセーリングにあります。移動ならボートの方が絶対に良い。でも、何故ヨットなのかは、セーリングに魅力があるからです。セーリングこそが、ボートとは一線を画しています。セーリング以外の事は、ボートでもできる。むしろ、ボートの方が便利だし、効率も良い。

という事はヨットを敢えてやるというのは、セーリングの魅力をどこまで満喫できるのかにかかっていると言えると思います。どんな乗り方かは別にしても、セーリングをいかに遊ぶかは、ヨットをやるうえに、ヨットで無ければ味わえないフィーリングを得るという意味になります。

気象条件の良い時に、モーターボートで快走しますと、実に気持ちが良い。しかし、それを2時間、3時間と続けられるでしょうか?気持ちが良いというだけで、できるでしょうか?結局、その先には目的地がなければならなくなる。目的地があれば、快適に走れます。そして目的地で違う何かをするわけです。何の目的も無しには、なかなかできないのではないかと思います。走るだけなら、最初の気持ち良さも徐々に時間と伴に減衰していきます。目的地さえあれば良いのですが、いくらボートが速いとは言いましても、限界はあります。

これと同じ事をセーリングでやりますと、何が違うのか?セーリングは走りますが、その走る事の内容が目的になります。ただ走れば良いとかでは無く、どういう風に走るか、それが面白さになります。もちろん、その結果、どこかに到着するという事もありますが、あくまで主目的はセーリングにあります。

セーリングは風をセールの上を流して、いかに効率良く風を利用するかというスポーツです。偶然にでも、ピタッとうまく行って快走する時、誰もが快感を得る事ができます。ところが、残念ながら、そういう偶然はいつもあるわけではありません。つまりセーリングをするというのは、偶然では無く、自分意思で、快感を得られるように調整したりして遊ぶというのが、その遊び方になります。

有難い事に、人間はある一定条件、この場合は風や波のある一定条件の時のみ快感を得るという事では無く、むしろ、好条件ばかりではこれまた飽きてきます。波が高かったり、風が強くなったり、弱くなったり、そういう時でも、いかに良い感じを得られるか?そこが主題になりますから、その為に知識を得、腕を上げる。同時に、自分のフィーリングを常に意識している。そこが面白く感じられるようになった時、目的地も不要になるし、忙しい方々でも、わずかな時間にでも、楽しむ事ができます。

自分の神経が鋭敏になればなる程、微妙な変化さえも感じられるようになります。つまり、セーリングとは、奥へ、奥へ入っていく遊び、自分の鋭い感性とともに、深さを知る遊びになろうかと思います。デイセーリングとは、そういう遊びなのだろうと思います。点の遊び、しかしその点は深い。

一方、旅の遊びをしますと、それは広い面の遊びになります。この面を点の時と同じ意識では行けません。ヨットの旅とは言え、多くの場合がエンジンで行きますが、効率だけを考えればボートの方が良い。しかし、同じエンジンでも確かに味わいは違います。ですから、それはそれでも良い。違う味わいがあるだけです。

さて、セーリングと旅とどっちを好みますか?問題はこれだけです。好みの問題です。自分の好みのやり方を充分に満喫して、そこからグッドフィーリングを得ておく事が重要で、それさえあれば、他の事は気持ち的余裕で楽しむ事ができるようになる。それが無いと、何をしても、どうも今一という感じが残るのではないかと思います。確かに、いろんな使い方はあります。しかし、このセーリングか旅かのどっちかから、充分に何らかのフィーリングを得ている事は、全てに影響するかと思います。

セーリングか旅かを決めるには、物理的条件、例えば、どのくらい時間があるのかとか、そういう事で決めるより、自分の感性で決める方が良い。好みは理屈では変えられませんからね。自分の性格にあった方法が良いわけで、その性格は自分の感性が良く解っているはず。頭脳は解ってい無い。ですから、年に1回しか行けないけれども、自分の感性が旅だと言っているなら、そっちに行くべきでしょうね。逆に、いくらでも時間がある人でも、セーリングが合うのなら、セーリングに行くべきです。合わないものは結局はやらなくなってしまいます。

しかしながら、未経験の方にとっては、これが解らない。よって、キャビンに魅了され、旅派に行ってしまう事が多いような気がします。仕方無い事です。経験してみないと解りませんから。そこで、多くの旅派の方々、今一旅を満喫していない方、今度はセーリングを試してみませんか?ひょっとしたら、はまってしまうかもしれません。

まずは、今あるヨットで、2〜3時間のデイセーリングを真剣に走ってみてください。そういう意識を持ってみてください。今まであまり気にしていなかったかもしれない操作を意識して、いかにを問いながら走ってみてください。一回程度じゃ解らない。何回もやってみてください。そこにもし面白さが湧いてきたら、しめたもんです。ではもう少し発展させて、バックステーアジャスターを設置してみましょう、ジェノアトラックのアジャスターもほしくなるかもしれませんね。良い傾向だと思います。舵のフィーリングに、セールシェイプに、ヨットの動きに何らかの感じを得る。最初は良い悪いの判断を下さず、ただひたすら味わうだけにして、何度も乗ってみます。フィーリングには良い悪い以外に、たくさんのフィーリングがありますから、それらをそのまま味わうつもりで。

もし、少しでも、こうしよう、ああしようという工夫が出てきたら、それは良い傾向です。逆に、全く面白さを感じられないなら、やっぱり旅に戻りましょうか。そして、必ずしも遠くの旅では無くても、日帰りの旅でも、できるだけ回数多く味わえるようにするのが良いと思います。

結局、自分の最も好きなやり方で、それを面白く味わっておくことが大切で、それなしでは、全てが始まらない。ですから我侭からスタートして良いんだと思います。まずは自分自身が面白さを体験しておく事が必要で、それがあるからこそ、他の人達にも分けてあげることができると思います。
最初から家族を思いやって、いろいろ考えますと、それで自分自身も本当に心から満足できないと、結局は全てが中途半端になるような気がしますね。そういう意味では、最初の数年間は、自分流を探す期間かもしれません。いろんな事を試して、これというスタイルを築く期間かもしれません。
それが無いが故に、何年経っても、今一という感覚がおき、それが慢性化して、自分でも気付かないようになるかも?心の奥底に、淀んだフラストレーションのようなもの。それを振り払うには、気付いて、意識して、自分の我侭を通してみる事が、一度は必要なのではないでしょうか?

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