第十一話 面白い事

遊びに限らず、面白いと感じる事には脳を活性化する力があります。脳が活性化されれば、気分は前向きになり、創造性も高まり、気分が良くなる。では、面白さとは何か?それは、発見する事、解る事ではないかと思います。学んだり、経験したり、そういう中から、なる程こういう事か、とかそういう事が発見、或いは理解される時、おおいに喜びを感じます。つまり、知識にしろ、感性にしろ、新しい何かをわずかであっても体験し、学び、そういう成長に喜びを感じるのだろうと思います。これらは、ただ楽しいというのとは次元が違う。

ヨットのような、ある技術を要するものにおいては、ただ楽しいという次元から、何度も言ってます面白いという次元にまで幅広い要素があり、楽しさを求めつつ、面白さを発見していく。そういうプロセスが無いと長く続ける事はできない。面白さとは、そのヨットの深さという事になろうかと思います。表面的なものには、深さが無いものについては、面白味が無いという事になる。

ヨットは動けば良いという次元においては、深さがありません。この次元においては難しいものでも無いと思います。ですから、楽しさを味わうにはそれ程難しいものでは無い。しかし、それだけに楽しさも薄っぺらで、飽きもくる。動かせるようになってからが問題です。いかにを問うか否か、そこにかかってくるように思います。

いかに舵を取るか、いかに調整するか、いかに走るか、いかにシングルをやるか、そのいかにを問う限りにおいて、新しい発見が生まれるのではないでしょうか。ヨットというのは特殊技能です。特殊であるが為に、動かせるというだけである程度満足してしまうと、面白味が薄れていきます。
つまりは冒険が必要になる。面白さとは冒険にほかならない。

冒険と言いましても、危険を敢えておかす冒険もあれば、もっと深い何かを求める冒険もあります。そのいろいろある中で、提案したい事は、危険性では無く、より深さを求める事です。それは技術的でもあるし、感性の深さでもあります。技術を高め、いろんな感じを感じ取る感性を高める事です。知る事、発見する事、より多くを感じる事、そういう事を求める意識が面白さになると思います。

全ては、面白いかどうかで判断します。それには知識も必要ですし、好奇心も、面白がる心も必要になる。単に遊ぶと言っても、面白さを得るには、楽しい事ばかりでは無い。でも、そこには、楽しさ以上の気分が高揚する面白さがある。セーリングに集中して走る事において、その全てがあると思います。

結局、ヨットで何をするのかという事になります。何をしたいのか?何を味わいたいのか?その方向性を持った方が良いと思います。そこで、自分のヨットを充分に理解する事とセーリングの味わいに面白さを見出されてはいかがでしょうか、と思う次第です。ある程度動かせれば、それだけでも十分かもしれません。しかし、もっと進む事によって、もっと面白さが得られる。常に、冒険と発見が無ければ、面白さは無い。創造的である事が必要です。

子供の頃、勉強は退屈でありました。しかし、大人になりますと学ぶ事の面白味が解ってきます。知る事、発見する事、それらが高揚感をもたらす事が解ってきます。いきいきと生きるエネルギーです。そこには老人も子供も関係無い。でも、子供はエネルギー豊富ですから、自然とそういうものを求めています。年をとると、そういうエネルギーが失われていくのでしょうか?否、多分、頭で動くからでしょう。遊ぶ時は、頭脳を控えめにして、感性で遊ぶ。子供のように、それが最も面白さを味わう秘訣かもしれません。子供は面白い事に対して貪欲です。だからこそ、面白さが解る。子供のように夢中になる事、それ以上の面白さは無い。本来、誰もが持っている本能かもしれません。

この際、新年の始まりにおいて、もう一度出発してみましょう。既に知っていると思っている事の中にも、新しい何かが発見できるかもしれません。面白さは理屈では無く、感じる事ですから、感性において何かを感じたら、それで良いのかもしれません。そこに頭が出てくる事によって、面白さを減じてしまうかもしれません。

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