第二十話 基本的欲求

誰もが生存に対する欲求があります。食欲や性欲や、そういう欲求は命令される事も無く持つ基本的欲求であります。でも、人間はそれだけでは満足しないように出来てます。それ以上の何かを感じたいと思っています。征服欲、達成感、優越感、それらを感じえた時に喜びが湧き起こる。ですから、誰もがそういう感覚を得たいと一生懸命になります。

でも、もうひとつ、それらとは違う感覚もあります。他人を必要としない、いわゆる味わいです。食欲を満たすだけならそうでも無いのですが、もうひとつ先に行けば、うまい、まずいがあり、もっと先に行けば、口当たりの感触や、味の微妙な違いや、いろいろあります。それらは征服感や達成感や、それらの感触とはまた違う。

遊びにも同じように、達成感や優越感を得る方法もありますが、同じように味わいを得るというのもあると思います。今日のセーリングは良い悪いという事から先に進んで、その時々の味わいを楽しむ事はできないでしょうか?美味なる物を求めるように。

より速いスピードを求める事は、それもひとつの方法です。でも、最終的には味わい。良いも無く、悪いも無く、今ある感触とその変化を味わう、楽しむ事はできないでしょうか?

食通は、どこどこの何々がうまいとか、この季節はこれが旬だとか、素材とかいろいろうるさいもんです。それと同じように、まあそこまでは行かないにしても、いろんな環境において、いろんな感覚を味わえる面白さというのはできないだろうか、と思います。そこに至る事ができるなら、どれが良いとか悪いとかの単純な事では無く、いろんな味わいがあるという事に気付きます。

大きい方が小さいより良いという事にはならないし、ティラーもラットも、リグも船体の形状も良い悪いという単純な分け方では無く、違う味わいがある。もちろん、自分が求める味わいに進む事にはなりますが。正直に言って、アレリオンに乗った時、滑らかさを感じました。他では無い感触でした。それが良いとか悪いとかでは無く、その感触が私にとっては鮮烈であり、気持ち良さでもありました。それ以来、どこかに行きたいという欲求はあまり沸いてこなくなりました。

誰にも自分に合う感触というのがあるのだろうと思います。遊びとは、その自分の気持ち良さの追求になるのかもしれません。これらは基本的欲求ではありませんが、大事にしたい感覚です。極論すれば、グッドフィーリングさえ得られるなら、何でも良いわけです。

人それぞれが異なるように、感覚も異なり、独自の個性がありますから、本当に自分を喜ばせる為には、みんなと同じであるはずがありません。遊びには、それをおおいに追求して良いのだろうと思います。誰に迷惑をかけるわけでも無い。独自の面白感覚を育てる事ができる。

ヨットで何ができるか?次には、どんな感触が得られるか?デイセーラーの登場は、そんな次元に来たのではないかという気がします。それぞれのヨットに、それぞれの感触があります。これまでは、どれだけ広いか、どんな装備があり、何ができるかの追求でしたが、デイセーラーの登場は、それらからシフトし、新しい方向への始まりではないかと思います。見える物から、見えない感触ですから、簡単ではありません。でも、それも良いかと思います。それで、今ある自分のヨットを見直して、何ができるかではなく、どんな感触かを意識してみてはどうでしょうか?新たな面白味は湧いてこないでしょうか?

基本的欲求はかなり満たされてきました。キャビンの広さを始め、いろんな装備に満たされてきました。これから求める事は、物では無く、感覚だと思います。旅の感覚、セーリングの感覚、それぞれに細かいたくさんの感覚があります。物で満たされたら、今度はより良い感覚を求める時代が来ていると思います。そこにこそ本当の面白さがあるような気がします。

旅に出ても、どこかに行ったという事実だけでは無く、旅のプロセスから到着から、現地での味わいなど、そういう事が大事なんだろうと思います。セーリングしても、何ノットスピードが出たとかよりも、その時の味わいがどんなであったかが大切なのではないかと思います。これらは、基本的欲求を超えた、高次の欲求、その時が今来ているのではないかと思います。

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