第四十四話 時間

我々の生活には時間は欠かせません。時間は貴重だと言います。年は取るし、戻れないし、それ程貴重なら、その時間をどうやって過ごすのかも重要になります。時間は時間だけで存在するわけでも無く、何かの場面と常に一体ですから。時間が貴重と言っているのは、実は、その場面が貴重なのであり、つまらない場面で時間がもったいないというのは、その場面がもったいないになると思います。限られた時間だからこそ、そこに、かけがえの無い時間(場面)を過ごしたいと考えます。

時間はどんどん過ぎ去り、同時に、場面もどんどん過ぎ去る。一瞬一瞬が貴重な時間、場面ですが、これらが貴重であるなら、いかに充実した時間を過ごしたいかと、誰もが考えます。充実したとは何でしょうか?充実感はどうやって計る事ができるのか?それはやはり、心でしょうね。

世の中は、お金が必要ですし、お金があったら、時間がほしい、暇が出来たら、充実した場面がほしい。つまりは、心がほしい。充実した心があったら、その先はもう無い。十分ですとなるかもしれません。それ程、充実した心が貴重なのでしょう。最高の贅沢です。贅沢はしてはいけないのでは無く、誰もがあこがれ、求める最高のもの。でも、なかなか得られないから、贅沢と言う言葉で表現しているに過ぎない。お金がたくさんあるだけでは不十分、時間があたくさんあるだけでは不十分、それにプラス、充実した心が最高であります。心さえもし充実するなら、他の事はさほど問題では無いという見方もできます。時間さえも、あっという間に過ぎてしまう。退屈なら、時間が過ぎるのは遅い。でも、時間が貴重だからと言って、退屈さを選びたくは無い。

そこで、心を満たす為に、たくさんの人がいろんな物を造ったり、新しいサービスを考え出したりしますが、最後は自分の能動的な求めの度合いに比例する。接待を受けますと、良い気持ちになったりしますが、でも、それも充実度という面においては最高とは言えないでしょう。最高の充実感は、自分が求めるところから得られるのではないか?それも簡単では無く、難しい方がより充実感を得られる。でも、難しい事に挑戦するのも難儀であります。矛盾してます。

さて、セーリングをします。難儀な事では無く、黙って舵を握る。できるだけフィーリングに注意して、帆走します。多少の慣れは必要ですが、頭半分、フィーリング半分。どういう具合に操作をしようかと、頭脳で考え、最初は考える事で一杯になるでしょうが、少し慣れてきたら、フィーリングを意識します。慣れるに従って、もっとフィーリングを意識する。どんなフィーリングを得ているかを意識します。誰もが求めるフィーリングの充実感、感動、その前に何を感じているかを意識します。その度合いを深めていく。最後はこれではないかと思う次第です。

それで、デイセーラーというところに達します。フィーリングを重視したセーリングには最高だと思うからです。気持ちにさえ、集中できれば、ただ何でも無いように見えるセーリングも、セーリングでしか味わえないフィーリングをもたらしてくれます。そんなセーリングを毎回積み重ねていきますと、一体どうなるか?フィーリングの山です。最初はグッドやバッドと分類しますが、その先はただフィーリングの山となって、そのうちしびれるようなセーリングに出会う事ができる。これこそ最高の贅沢ではないでしょうか?夢中になれるって、とっても幸せな事です。

是非、ひとりでも多く、セーリングに夢中になっていただきたいと思います。デイセーラーにはそんな可能性が大ではないかと思っています。何故なら、セーリングに重点が置かれている事のほかはシンプルであったり、操作がしやすかったりです。集中しやすいと思うからです。

前にも書きましたが、スピードを求めるという行為は、その結果のスピード以上に、その行為に夢中になり、集中する事がもたらす、フィーリングの恩恵の方がはるかに大きいと思います。最後はこれかなと思います。何とも言えない充実感、これに勝るものは無い。

1時間か2時間ぐらい、セーリングしますと、それだけで良い気分を味わえる。舵に注意して、セールに注意して、同じ海域でセーリングしますと、退屈でしょうか?慣れてきたら、是非、自分の感じに注意して、感じに注意できると、実に鋭敏になります。今まで感じられなかった、微妙な違い、いろんな感じさえも解るようになる。そうなりますと、海域なんて問題では無いと思います。貴重な時間であります。

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