第四十九話 成熟期

高度経済成長の終焉から、不況が時々。もはや高度に経済が発展し続ける時代は無く、それに比べるといつも不況と言えるかもしれません。でも、見方を変えれば、これが普通、安定してきたとも言えます。もはや物が無い時のように、どんどん買い続ける事の方がおかしい。もう既にあるわけですから。その安定期が、悪いという見方は、現実的では無いような気がします。もう一度、高度経済成長を望むのであれば、今ある物を一旦破壊してしまわなければなりません。そんな事は誰もが望まない。

という事は、我々は、この安定期、成熟期に慣れる必要があります。慣れて、むしろ、楽しむ方が良い。そうで無いとまたバブルのような事を誰かが企み、それを繰り返す事になる。ちょうど、日本のバブルのように、そしてアメリカのサブプライムローンのように。みんながまだ高度経済成長に未練たらたらなのです。でも、やっぱり、昔の高度経済成長とは違う。同じようになるのは、革命的な発明とか、飛躍的に我々の生活レベルを変えるような産業革命でも無ければ、有り得ない。例えば、水や空気をエネルギーに換えて、全てがまかなえるようになるとか。そんな事は、どこかの天才にお任せするとして、我々はこれからは、もっと楽しむ事を考えましょう。

前話で書きました、感性的な楽しみを持つ事は重要かと思います。感性は未だ謎のようです。感性と言いますと、音楽や絵画などの芸術的な事を考えるかもしれませんが、そうでは無く、ありとあらゆる所に、この感性を働かせて、感じ取る。物を買う時、いくらするかは重要な事です。でも、安ければ何でも良いわけでは無く、感性に聞いてみる。予算内にあるなら、感性がイエスという物がOKなのだと思います。便利さで買う時代は終わった。

デザイン、色、という見た目も重要ですし、それが持つ性能がもたらす感じも重要かと思います。あれもできる、これもできる。あれも付いてる、これも付いてるという事は選択の大きな要素には、もはやならない。もちろん、不要だと言ってるわけではありませんが、大きな選択の要因では無いという意味です。

どんなヨットでもセーリングはできる。だから、より大きな、より広い、装備豊富、そういう選択をしてきました。それが良いと思ったからです。それで、今度は、そのヨットを実際に使って、そのより大きなサイズ、広さ、装備を充分に味わって、その味わいがどんなものであるかを確認する時が来た。それもいろんなやり方で。そして、それを判断すのは頭脳では無く、感性だという事。

そうなってきますと、どうなるか?多少は不便なんだけれども、実に良い感じというのがあります。昔なら便利優先でしたが、これからは、そういうのでも、感性がイエスというのなら、OK。それこそが、幸福感に繋がる。便利ではもはや幸福にはならないし、広さも大きさも同様。そうなりますと、感性が重視されますと、きっと今まで重視してきた事が、何でも無いように思えてくる。

感性は謎だらけ。音楽なら、ロック好き、ジャズ、ポップス、演歌、クラシック、それぞれに好きな人が居ます。絵画でも、印象派とか、抽象画とか、いろいろです。そういう世界は感性そのものが最初から出てきていますから、すんなり入れます。でも、物は生活に密接に繋がっていたために、感性よりも便利さが優先でした。何が私を楽にしてくれるだろうか?その延長上にある遊びも同様です。芸術は生活には無関係だからこそ、独立した選択肢があったわけですが、良く考えてみれば、遊びも同様の域にあるような気がします。特にヨットなんてものは、生活には無関係。ならば、もっと感性的な選択の方が良いのではないか?そして、感性的に遊んだ方が良いのではないか?

芸術や遊びだけでは無く、我々の生活でさえ、成熟期を迎え、もっと感性的になった方が良いかもしれません。テレビというハードが限界にきつつあります。限界ではないかもしれませんが、もう充分な領域です。そうなりますと、番組を制作する側にもっと考えてもらわなければなりません。否、みんなが感性的になれば、製作側も必然的に変わらざるを得ない。テレビ自体にしても、でっかいのもありますが、それが必要かどうかでは無く、感性的にイエスかどうか?

感性的になると、何が変わるのか?選択が変わる。見方が変わる。自分が何を感じているかを意識するようになる。それこそが、自分らしさ、個性ではないかと思います。という事はこれからは、個性的である時代。考えようによっては、良い時代になりつつある。それこそ、バラエティーに富む時代。大きなヨットの横に、小さなヨットが同等に並ぶ時代なのかもしれません。

でも、こうなりますと、造船所は苦労しますね。今まではこうしておけば売れたというのがあるわけですが、これからは難しい。どういうのが売れるのか?これまでは、造船所がリードしてきたわけですが、これからはオーナー側がリードしますね。実に面白い時代です。個性と言われながら、、そうはなってこなかった。供給側が困るからです。でも、成熟した社会は、もう止められない? 

ですから、ヨットを便利と楽という観点で見るのでは無く、感性のレベルで見る事になります。実利では無く、目には見えない潤いとか癒しとか、感じる何かです。これは難しい選択になるかもしれません。自分の感じるセンサーを理解していなければなりません。今までは、あまり意識してこなかったかもしれません。楽しいと思う感性も、本当は便利という理屈から見ていたかもしれません。
それで、これからは、自分が何を言って、どんな行動をしているかと同時に、どんな感じを得ているかを意識する事になります。案外、言ってる事と感じている事は違うかもしれません。このギャップがストレスになるのかもしれませんね。このギャップが少なくなる程に、楽しさ、面白さが増すのではないでしょうか?

そして、さらに進化しますと、感じというのは無限にあるわけで、良い感じだけを求めるのでは無く、いろんな感じをそのままに面白く遊べるようになるのかもしれません。これは、かなり心の余裕というものを感じさせますね。良いものだけを求めるのはまだまだ、全部を遊べるのは達人のレベルって感じです。そうなりますと、ストレスはゼロ、何でも来いです。

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