第五十七話 難しい事は貴重

誰でも進化向上の本能があると思います。より良い物を求めます。より快適を求め、向上する事に喜びを感じます。それで、より良いとか、向上とかは、難しい事です。難しいからこそ喜びもあります。簡単で、誰でも手に入る物には有難さを感じません。当たり前の事になります。という事は難しい事は貴重であり、そこに喜びを感じます。

ヨットは難しそうです。そう見えます。ですから、それに乗れるようになると、喜びを感じます。どんなに簡単に操船できますよ、と言っても、全く知らない人にとっては難しさを感じ、それができる事で喜びを感じると思います。

難なく乗れるようになった時、その同じ事の繰り返しでは、喜びは無くなります。これが、ヨットが動かない最大の理由ではないかと思います。操船自体が難しい事であったけれども、もはやそれが難しい事では無くなった為に、喜びが感じられなくなる。簡単に言えば、飽きてくる。

という事は、その次の難しい事に挑戦していかなければ、その喜びを持続できなくなる。操船できるようになったら、それで、どこかに行こう、旅をしようと思うわけです。その旅も、一度目は難しい、でも、二度目、三度目になるに従って、易しくなる。しかも、同じ場所なら尚の事。それで、違うところに行こうとします。その繰り返しになる。その繰り返しをしないと、向上しないと、飽きてくる。

簡単に動かせるヨットです。と言っても、そこに留まる限り、飽きてきます。それで、毎回、そのあたりをセーリングして回るだけなら、向上が無くなる。よって、セーリングの質をいかに上げるかを考えます。舵操作からセールトリミングまで、いままではそう気にはしなかった事でも、少しづつ広げて、より難しい事に挑戦を続ける。それが、面白いヨットを持続するコツではないかと思います。
レースするわけじゃないからと、そこそこで留まりますと、そこから面白さが減衰していき、飽きが来る。ですから、何であっても、少し上の進化向上を目指すのが、面白さを持続するポイントではないかと思います。

難しさも、自分の今の状態から大きくかけ離れますと、挑戦する気にもなれません。ですから、ちょっとだけ進む。そこに行ったら、またちょっとだけ。少しづつ、少しづつ。そこに喜びを感じるのではないでしょうか?そういう面では、旅は究極的には、たくさんの時間が必要ですが、セーリングの質という面においては、時間はわずかで良い。それもメリットです。どれだけ進んでも、終わりは無いくらいに深いのがセーリングですから、一生遊ぶ事ができます。退屈感を感じたら、チャレンジ精神が無くなったと思った方が良いかもしれません。ヨットのせいではありません。

ヨット以外でも同じで、みんな向上する事、うまくなる事、新しい何かに常に挑戦し続けています。スポーツも、芸術も。プロの音楽家だって、もっとうまくなりたいと考える。ましてや、我々のセーリングなんかは、ずっと上があるわけですから、一生かかっても向上を続ける事ができます。

どんな向上を目指すかは、それぞれの自由になります。自由だからこそ難しいとも言えます。それで、自分のセーリングを良く観察する事と、感じる事が必要になると思います。そうしますと、自然に次のステップが見えてきます。当たり前ですね、人間には向上心というのが自然に備わっていますから、今が解れば、次も出てくる。

この向上のレールに入ったら、後は、ずっと遊ぶ事ができると思います。しかも、苦しいわけでは無く、楽しく、面白くです。セールの微妙な操作とか、舵の操作とか、自分の動きとか、バランスとか、解れば解るほど、その難しさが解る。だからこそ貴重だと思います。 

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