第八十五話 速い方が良い?

走る物は速く走れれば速いに越した事は無いと思います。速いのは遅くも走れますが、遅いのは速くは走れない。しかしながら、速ければ何でも良いというわけでもありません。ある車好きに聞いてみますと、速い為にはエンジンのパワーが重要ですが、同時に速く走る為には、ブレーキの制御が充分無ければ速く走れないそうです。それにボディー剛性、足回りも重要だそうです。

ヨットも同じかもしれません。セールエリアさえ大きければ良いわけでも無く、ヨットの場合は船型、重量、水線長、等が関係してきますが、特に車で言うならオフロードですから、レースで無い限り、乗り心地も必要になります。これらが複雑な要素が、ヨットを難しい物にしていますが、一方では、これらは感覚の占める割合が大きいので、そういう意味でもヨットというのはフィーリングの世界を左右します。

要は、ヨットというのはセーリングを楽しむという点においては、フィーリングというのが非常に重要な要素であると思います。数値として同じスピードであっても、あるヨットはスピード感があまり無い。また、あるヨットはスピード感を感じさせてくれる。レースで無い限り、絶対的なスピードよりも、このスピード感の方が面白いのではないかと思います。要は面白いのか、面白く無いのかが判断の分かれ目ですから。速いにしても、恐怖感たっぷりというのも困るし、走っていて、滑らかさを感じるヨットもありますし、確かに、絶対的なスピード、上り角度、そういう数値で表されるものもありますが、良い感じに勝るものは無いのでは無いでしょうか?

セーリングとは、突き詰めていけば、様々な感覚を楽しむもの。それは遊びに徹しているから言える事で、これで何らかの仕事をするなら、感覚は二の次になるかもしれません。という事は、純粋に遊びだからこそ、感覚を重視して、そこに徹する事ができる。速さも、頑丈さも、上り角度も、船型も、みんな感覚の為、いかに良い感じを得られるか?こういう感覚を中心に据えますから、ヨットは非常に難しい。曖昧なものなります。こんな遊びは、なかなか他には無いですね。感覚が相手とは、なかなか手強い。

感覚は磨かれるものであり、相対的であります。過去にどんな経験をしてきたかによります。こればかりは、本で読んでも、誰かに話しを聞いても、感覚的には解らない。という事は、実体験のみによって磨かれます。だからこそ、体験の貴重さが解ります。同じ体験であっても、人それぞれに感じ方も違うわけですから、難しいもんです。

でも、体験から得た感覚は自分独自のものであり、一生失う事の無い財産みたいなものでもあります。生きていれば、何らかの感覚を得ていきますが、考えようによっては、全てはこの感覚の為にある。生きている間にどんな感覚を得てきたか?全てはここに尽きるのかもしれません。それをものの見事に表しているのがセーリングという事になります。

全ては良い気持ちを得る為に、どんな手段をとるか?仕事をたくさんして、大金稼いで、そして快適生活を手に入れて、最後は良い気持ち。高級車も、豪邸も、最後は良い気持ち。良いヨットを手に入れて、良い気持ち。全ては手段で、最後は良い気持ちを味わいたい。そこに尽きます。その良い気持ちは体験によってのみ味わう事ができる。

でも、人はまた難しいもので、俗に言う良い気持ちだけでは満足しない。良いものは、良いだけでは、良いにならず、その対照とすものが必要になる。簡単に良い気持ちになれても、その簡単さが、良い気持ちの度合いを薄めていきます。得がたいものを手に入れた喜びはひとしおです。
そう考えますと、単純に良い気持ちを手に入れようとするのは、底が浅いのかもしれません。
では、一歩進んで、いろんな感じを得る事、良い気持ちだけでは無く、あらゆる感覚をそのまま味わう。という事は、良いとか悪いとか思わず、そのままを味わうというのは究極かもしれません。その日のセーリングから得られるありとあらゆる感覚というのは、実に貴重なのかもしれません。
ですから、今、どんな感覚を得ているか、そういう事を意識しながらセーリングするというのは、とっても重要な事ではないかと思うのですが。

人生は感覚遊び、その中でもセーリングはその感覚遊びを実に強調的に表しています。だからこそ、楽しいだけに留まらない、いろんな感覚があるからこそ、面白いのかもしれません。特に、それが遊びですからできる事ではないでしょうか?遊びだからこそ、いろんな感覚を面白がる事ができる。まあ、兎も角、セーリング感覚遊びを味わってみましょう。

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