第十六話 1日48時間?

昔は東京に出張行きますと、必ず泊まりでした。しかし、今では日帰りでも出来ます。余った、もう一日はのんびりできるかと言いますと、別な仕事をする事になります。今日のスピードは、昔の2倍、3倍もっとです。1日が24時間で過ごしていたのが、48時間分の仕事をこなす。

一方、テレビを見ていましたら、病気になった桜の木を、何とか再生しようと、あれこれやっていました。ひとつの作業に結果が出るのが、また来年とか?それまでは解らない。実に昔のままのスピードで、気の長い話です。自然のスピードは昔のままで、人間だけがスピードアップしています。

人間の持つ、本来のスピードがどの程度かは知りません。高い順応性を持ちますから、もっともっとスピードを上げても順応できるかもしれません。でも、その順応できるまでには、少なからずストレスがある。発展が止まらないとしたら、永遠に続きます。よって、人は山に登ったり、海に行ったりして、自然のスピードの中に浸ると癒されるのかもしれません。という事は、人は常にスピードアップしていきますから、常に癒しを求めるのかもしれません。

という事は、人にとって必要なのは、遊びでは無く、癒しかもしれません。遊びもスピードアップします。人工的なものは全てスピードアップしないとイラついて来るのかもしれません。それでも、速いテンポばかりでは、ストレスが溜まり、たとえ遊んでいたとしてもストレスは解消されないのかもしれません。そのストレスが唯一解消される方法とは?自然のスピードに浸る事かもしれませんね。

ヨットそのものは人工ではありますが、動力は自然でありますから自然のスピードがそこにあります。その動き、スピード、感覚、そういうものに浸る事こそが、ストレス解消には良いのかもしれませんね。人を自然に戻す。戻れば、本来の自然のパワーが再生させるのかもしれません。花を植えて、育つの待つ。野菜を植えて、自然のままのスピードを楽しむ。あまりにも、社会とのスピードにギャップがあり過ぎで、それを楽しむ事ができないかもしれません。でも、それが本当に楽しむ事ができたら、ストレスなんか無くなるかもしれませんね。

そういう意味では、ヨットに乗って、何かをしようとするのでは無く、その時の自然のままにセーリングするのが一番良いのかもしれません。それを楽しめるようになるのが、ストレスが最も少なくなる方法ではないでしょうか?あまりにも遅くてイラついたとしたら、その分ストレスを持っているのかもしれません。そのままを楽しめるようになったら、本当に心から癒されているのかもしれません。

これから、ますます、社会はスピードアップしますし、そこにもっと多くのものを詰め込む事になるでしょう。その反動がスローライフですが、スピードアップの波を止める事はできません。そこで、いつかは、人がそのスピードに追いつけなくなった時、なにが起こるのか?

そういう時にこそ、遊んでいる人が強い。中でも遊びの中で自然のスピードを体感していく習慣を持つ事は非常に良いかと想像します。走ってばかりでは疲れます。たまにはゆっくり、それも道草をくいながら、ぶらぶら、そういう習慣を持つ事はとっても大事ではないか?

セーリングでのんびりばかりという事では無く、自然のスピードに合わせる事。速くなったり、遅くなったり、それでも、ヨットではたいしたスピードでは無い。自然を体感するには、もってこいではないかと思います。セーリングオンリーでは、何も達成する事も無いのですが、長い目で見れば、それが大きな力となるような?競争も無い、目的地も無い、ただセーリング。そんな事ができるのか?
もし、そこに浸る事ができるなら、自然のパワーをもらえるのかもしれません?

人は、いつも何かを求めて行動します。何の為に?何を、どうする?いつも目的があり、そのメリットを求めます。しかし、何の目的も無く、さらりと自然に浸る時、目に見えたメリットはありませんが、何か落ち着くような気がします。それが自然のパワー、癒し、長い目で見れば大きなパワーになるのかもしれせん。どこに行くか、いつ着くか、レースに出たら、勝つか負けるか。でも、ただセーリングには、何もありません。ただフィーリングがあるだけです。求めるものが無ければ、得られないイラつきも無い。ただ、ただ、浸るのみ。

何も考えずに、ただ無心でセーリングに浸る時、何とも言えない落ち着いた気持ちになります。こういうセーリングにも、やっぱりデイセーラーが本領を発揮しますね。

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