第二十七話 面白さだけ

何故セーリングするか?理由は面白いから。その他に何も必要はありませんね。という事は、面白さが無いなら、する意味が無いという事にもなります。爽やかとか優雅とか、そんなのは一時の事、面白さが無いとやり続けるという動機に欠けてしまう。家族とのセーリングや、友人とのセーリングにしても同様で、面白さが無いと続けられない。

セーリングの面白さは緊張感を携えたチャレンジにあると思います。それが面白く無いとなると、またこれは続けられない。何らかのチャレンジをすれば、必ず多少なりとも緊張感を伴う。緊張感が全く感じられない場合は、チャレンジでも無く、面白さも無い。

ヨットは不安定そのものです。ですから緊張感がいっぱいあります。度を過ぎる緊張感はチャレンジ精神さえ萎えさせるかもしれませんが、少しの緊張感さえあれば良い。それこそが面白さの源泉ではないかと思います。全く安定しきった状態では、安心かもしれませんが、面白さに欠けてくる。
緊張ばかりでは身が持たないかもしれませんが、緊張感の無いセーリングは、そこで停止してしまう。

セールを上げるとヒールします。もうこれで緊張感が出てくる。こんな斜めになって走る乗り物が、他に、どこにあるでしょうか?そこにもっと強いブローが来るかもしれない。ブローが来たら、ひっくり返るのではないかと思うぐらい大きくヒールする事もある。セーリングは常に、そういう可能性を持っています。ですから、緊張します。うまくなるとそのブローが来るのがわかるようになる。すると、ブローのタイミングで風を逃がす方法を覚え、見事に抜ける事ができるようになる。緊張感が無いとうまくならないのでしょう。うまくなると面白くなります。

緊張感は集中力を生みます。集中力は鋭い感覚と観察力を生む。結局は、それが面白さを生み出すのかもしれません。セーリングとはそういう乗り物でしょう。爽やかとか、楽しさとか、そういうのもありますが、でも、それだけでは続ける事はできない。結局、そういう緊張感を遊べるかどうかにかかっているのではないかと思います。

自転車だって、覚えたての頃は緊張します。しかし、慣れてきますと、自転車の事は考えずに、あたりを見回したり、緊張感などまるでありません。それが、今度は一生懸命こいでスピードを上げると緊張感が出てきます。ヨットも同じで、慣れてきますと、そのままでは緊張感が無くなりますから、スピードを求める。すると、また緊張感が生まれる。微軽風で緊張感を保つ事ができれば良いのですが、なかなかこれは難しい。レースでは無くても、やはりスピードを求めてセーリングをします。それが緊張感を生み出します。

真っ直ぐ走る事が殆どのセーリングです。風の方角はいろいろありますが、どんな角度にしろ真っ直ぐ走る。方向転換以外は真っ直ぐ走る。この真っ直ぐ走る行為の中に緊張感を生み出さなければなりません。それは集中力と言っても良い。面白いセーリングだから集中力を増すのかもしれませんが、逆に集中して面白さを見出す事が必要になると思います。

でも、本当に気持ちが充実して、集中して走れる時、きっと面白さを感じます。集中できない時はどうにもならない。でも、ヨットという乗り物は自然に陸上の事は忘れさせ、とても集中しやすいスポーツかと思います。自分の緊張感、集中力を、セーリングという行為が簡単に引き出してくれる。それさえできれば、面白いセーリングができると思うのですが。

緊張感は集中力を生み出し、感覚と観察力を増幅させる。それがもっと面白い世界を見出す。セーリングが面白かどうかが、そこに面白さを見出せるかどうか、どうやって面白さを見出せるか?
ヨット側からどうこうはやってくれませんから、こっちからそこに近づかねばなりませんね。でも、接待のように向こうからやってくれるよりも、自分で見出したほうがはるかに面白い事は言うまでもありません。セーリングは面白いのか?では無く、いかに面白さを見出す事ができるのか?かもしれませんね。

大胆さもありますが、繊細さも持ち合わせると、微妙な差が感じられる。しょっちゅう同じヨットに乗れば、誰でもそうなる。そうしますと、いろんな場面で面白さを生み出す事もできるようになるのではないかと思います。

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