第四十話 不思議?

レースも良いけど、クルージングも良いけど、もっとセーリングを遊びましょう。考えてみたら、変な話です。これだけヨットがあって、みんなセールがあって、今更もっとセーリングを、なんてのはおかしな話です。セーリングを遊ぶのは、当たり前の事であってしかるべき。

ところが、現実はそうではありません。多くの場合、ある目的が無いとヨットを出せていない。どこかに行く、遠くで無くても、近場でも、向こうの島に渡ってとかいう目的です。それはそれで良いのですが、セーリングしに行こうという目的はあまり無いような気がします。

そして多くの場合、セーリングでは無く、エンジンで行く。それはそれでも良いと思います。しかし、何も無い時、ちょっとセーりングしてくるという感覚があまり無い。セーリングそのものを遊ぶ、それだけの目的で出すという事が無い。少数を除いてですが。

ヨットに乗っていながらセーリングを遊ばないとは不思議な事です。セーリングはヨットにとって最も基本的な機能です。携帯電話で電話しないで、テレビ見たりしているようなもの?それを否定するつもりはもうとう無いのですが、たまには基本的な機能を遊んでみたらどうか?と思う次第です。
テレビしか見ない携帯電話なら、もはや携帯電話では無く、小型テレビです。セーリングしないヨットはもはやヨットでは無いのかもしれません。

それが悪いと言うのでは無く、たまにはセーリングを遊んでみようか、という気持ちを持ってみてはどうでしょうか?すると何が違うのか?セーリングでしか味わえない感覚が手に入る。どこにも目的を持たずに、そこらあたりをクルッと回ってくるつもりで。目的地が無いなら、急ぐ事もありませんし、エンジンかける必要も無い。

セーリングを味わい、セーリングが面白くなったら、もっと気軽に出したくなります。そういう意識が定着するからこそ、欧米では、小さなヨットもたくさんあるのかもしれません。欧米でも、大きなクルージング艇は動かないとか、エンジンで行くとか、日本とちっとも変わらない。でも、一方では、セーリングを楽しむ人達も大勢です。

待てよ、文章を書きながら気づきました。我々一般が目にするクルージング艇、世界中にありますが、その多くが、セーリングしていないとしたら?結局、そういうヨットはセーリングを主として建造されていないのではないか?マストもセールも一応はある。しかし、それらを使ってセーリングする人より、キャビンで過ごしたり、エンジンで旅をしたり、そういう方が圧倒的に多いような。それは、あまりにもキャビンが強調されすぎたせいではないか?

なるほど、それで、キャビン遊びもエンジン走行にもあまり興味が無くて、セーリングしたい人達にとっては小さな、キャビン無しヨットの方が面白いのかもしれません。そこにデイセーラーが登場したものですから、そういう土壌はすでにあったという事でしょう。なるほど。と勝手に納得しています。

日本はこれから、クルージングも良い。でも、セーリングも面白い。セーリングは不思議な事にマイナーな世界です。これを何とか、押し上げて、クルージングと肩を並べるようにまでなれば、日本はもっとバラエティーに富んだヨットが出てくる。クルージング派も、もっとセーリングを楽しんで良いんです。 いや、もっとセーリングが流行るべきです。何故なら、ヨットの基本的、他のものでは味わえない、唯一の機能だからです。セールはエンジンが壊れた時の保険ではありません。メインパワーです。

日常では気軽にセーリングを遊び、たまに旅をする。旅の時はエンジンでも構わない。今、何をしているのか?セーリングを楽しんでいるのか?旅を楽しんでいるのか?目的をきちんと意識して、臨機応変に遊ぶ。

まあ、何といいますか、気軽にちょっと出かけてくる、という感じで、セーリングを2,3時間気楽に楽しめるようになったら良いなと、つくづく思います。あれが要る、これが要る、まあ、必要な物はいろいろあるでしょう。でも、気楽に、気楽に。ちょっとそこまで。

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