第八十八話 格差社会

経済格差が社会問題になってきました。しかしながら自由主義社会における当然の帰結であるとも思います。昔、みんなが貧乏だった頃からスタートして、自由に競争すれば、勝ち負けがつきまとう。それを何度も、何世代にも渡って続けていけば、持てる者と持たざる者の格差が生まれる。それでも、全体を見渡せば、世界と比べますと、日本は平均的に豊かな国となってきました。しかし、国内に居る限りにおいて、やはり格差を感じます。

日本の新たなステップは、現在の物質的豊かさから、別次元へと進んでいます。物質的豊かさを越え、精神的豊かさを求めます。それはもはや物質的な所有のみから得られる物では無い事が解ります。物質はいわば比較の問題です。他人との比較です。ですから、みんなヨットを所有する事に一種のあこがれがあり、同じ所有なら、より大きなヨットに満足感を求めた。それがこれまでの時代です。これは経済格差です。

これからの格差は何が起こるのか?所有による比較満足感では無く、真の幸福感、それは他人よりも大きいとか、豪華さとかでは無く、比較のできない、自分の中に起こる満足感。それは実際に行動する事によって起こる格差ではないかと思います。でも、この格差は他人には見えない。自分だけが解る事です。もはや、他人と比べてどうこうの時代では無く、自分が面白いと感じるかどうか。それは自らが、行動してはじめてなりたつものであり、自分次第という事になります。行動の仕方はそれぞれ違ってきます。満足の在り方も違ってきます。もはや他人と比較する事もできなくなる。楽しんでいるのか否か?この点においても、行動する人としない人とで、この先大きな格差を生み出すと思います。めちゃめちゃ楽しんでいる人が居るかと思うと、ずっと長い間ほったらかしという人も居る。どれだけ楽しんでいるのか、目で見えないだけに、本人もあまりたいして重要だとは感じません。そうやって、長い時間が過ぎ去ります。

買い替えの度にサイズを大きくなんていう事が当然のようにありましたが、これも所有という感があります。でも、人によってはサイズダウンという人も出てきました。これなどまさしく、所有から使う事に配慮した行為ではないかと思います。もちろん、自分の面白さの為にサイズアップするのは何ら問題は無いのですが、所有感があるのなら、それにはもはや満足感はあり得ない。

ヨットをどんな使い方をするか、どんな付き合い方をするのかは全く自由であります。自由だからこそ格差を生むとも言えます。でも、それは仕方ない。他人は兎も角、せっかくヨットのオーナーになったからには、それからどれだけの面白さ、楽しさを引き出すかは自分次第だという事になります。いろんなバリエーションがありますから、是非、いろいろ使いまわして、自分の面白さを発見していただきたいと思います。それをやる人とやらない人の格差が、今後はどんどん大きくなっていくのだろうと思います。その結果、どんな社会を生み出すのかは解りませんが、でも、どうせなら楽しんだ方が良い。しかし、それでも行動できない人も居ます。幸福感を得ている人と、不幸とは言わないまでも、幸福感を得られないでいる人、そういう格差が、これからどんどん広がっていくのではないかと思う次第です。

遠くへの旅、近くの旅、大きなヨット、小さなヨット、豪華なヨット、シンプルなヨット、そんな事は問題では無くなる。満足感、幸福感は比較できるものではありませんので、幸福な人とそうで無い人が居る事になります。理屈では分かっていても、行動に出ない。これも、今一面白さを得られない事になります。どれだけ行動できるか?そこに格差が生まれるのではないでしょうか?大人になればなる程、行動する前に考えます。それはそれで良い事なのでしょうが、考えない子供の方が楽しんでいる。そこらあたりのバランスの取り方が重要なようです。大人になればいろんな物を所有できるようになります。でも、これからは、行動をいかに実行するか、多分、ここにも大きな格差が生まれていくのではないかと思います。時間は物事を顕著にしていきます。わずかな差が時とともに広がっていく。その時、自分がどこに居るのか?

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