第五十五話 凝り性

世の中には凝り性の人が居るもんで、何でも凝ってしまう。凝るというのは、自分の面白さを追及してしまう事でしょうから、楽しむというのはそういう事になる。ですから、凝っている人は楽しんでいる人であります。誰でも、面白さを発見しますと、もっと追及していきたくなるものです。そして、凝れば凝る程に深くなりますから、深くなると、それは一般的では無くなる。

何も一般的に遊びたいわけでも無く、面白ければ良いわけですから、他人の事なんか気にする必要も無い。一般的とは、そう深く面白いわけでも無い。だから一般的でもある。安心したかったら一般的で居る方が良い。でも、面白さを味わいたかったら凝った方が良い。そうすると、一般よりも離れた所に居る事にいつか気付くかもしれません。でも、面白いとはそういう事だろうと思います。

別にすごい事をしたいわけでも無く、ただ面白いからする。それが結果、一般から見てすごい事だったりもするわけですが、何もすごい事をしようとは思わない。面白さが無ければ、すごい事をたとえしたとしても、幸福とは思えない。つまりは、面白い事をするというプロセス、しているプロセスが重要であって、その結果、すごい事になろうが、つまらない事になろうが、どっちでも構わない。
凝り性とは良い事、自分の面白さを追求していく姿勢ですから。

でも、世の中には自分の面白さが解らない人も居る。自分が何を面白いと感じるのか?家族や仲間をエンターテインしようとする姿勢はやさしさでしょう。それはそれで良い。でも、長い期間、何かをするというのは、相当な情熱が要求される。2,3年やるのとは違う。10年、20年、30年という長い期間です。その長い期間に、あるひとつの事をするとなると、相当面白さを感じないとできる事ではありません。という事は相当なる凝り性になる事ではないでしょうか?

家族や仲間をもてなすことに凝る?ちょっと違うような。ヨットの場合で言うなら、ちょっと違うような気がします。数十年の長期を想定するなら、やはり究極的になり、それはシングルハンドになっていくような気がします。家族や仲間はそれぞれの事情というものがあり、変化していくものですから、その中で自分が凝るとしたら、やはりシングルになっていくのでは?

今までは、より大きなヨットに乗りたいという考え方が一般的でした。それも確かに有かと思います。でも、もっと進むと、自分サイズを見つけて、それが小さくなろうとも、最も面白さを追求できるヨットが良いという事に変わっていく。それが熟した載り方ではないかと思います。全てはメリット、デメリットがあるわけですから、自分の面白さを追及できる最もふさわしいヨットが良いという事になる。ですから、サイズなんか関係無い。

まずは、何が面白さを提供してくれるのか、どんな時に面白さを感じるのか?頭脳ばかりを働かせて、いつもああでも無い、こうでも無いテクニックを追う。でも、同時に、自分の感じているフィーリングにも焦点をあててみる。ある人はセールトリミングに余念が無い。ある人は、そんな細かい事より、もっとおおらかにセーリングしているフィーリングに何かを感じる。どっちでも、何でも良い。是非、自分の面白さを見つけて、凝って、凝って、凝りまくりましょう。もちろん、長い期間を想定した、ロングの計画ですから、ゆっくり、少しづつ。

楽しむには、休みも大切です。オフがあるからオンが活きる。いつもオンならエネルギーが早く消耗してしまうかもしれません。オンはいつも面白い事ばかりでは無く、結構辛いこともある。でも、オフがそれを癒し、エネルギーをチャージし、再びやりたくなる。そうやって、面白さを携えて進む。
10年経ったらどうなっているでしょうか?20年経ったら?あれもやった、これもやった。あそこも行った、ここも行った。結果を見るとそうなる。でも、面白さはプロセスにあるのではないでしょうか?結果はある一点ですが、プロセスは長い連続です。長い方が面白いという方が絶対に良い。
何かをすれば、結果を求めるのが常識ですが、面白さをプロセスに見出すのは、長い期間の面白さを味わえる。ああ〜面白かった。これで終わるのが最高ですね。

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