第九十一話 能力
仕事するにはその仕事が要求する能力が要求されますが、遊ぶのにも能力があった方が良い。何かをする時は、それに値する能力があった方が良いわけで、それは遊びでも同じだろうと思います。それは技術、観察力、そして感じる力の三つではないかと思います。 感じる事については散々書いてきました。そして、それを高める為に集中力が必要であるとも書きました。この感性のレベルをもっと上げる為に、つまり、もっと面白さを味わう為に、観察力が必要であり、その観察した内容に対応できる技術も必要になります。これら三つは同時にレベルアップしながら進むものではないかと思います。 さて、例えば、野球が好きな人が、球場に行って、野球観戦をします。観察力があると、プレヤーを細かく観察して、他の人達が気付かない事も観察できて、より面白さを味わう事ができる。この場合、技術は不要ですが、それに似た知識は必要とされる。否、あった方がより面白い。そこで感じる力というと、そうそう集中して意識する必要も無い。それでも、十分に楽しむ事ができる。何故なら、自分はプレーヤーでは無く、観戦者だから。野球はこの場合、エンターテインメントです。選手達がプレーして見せてくれる。楽しませてくれる。観戦者は受身です。 しかしながら、セーリングを自分でするとなると、自分がプレーヤーであり、エンターテナーでありながら、もてなされる方でもあります。となると、プレーヤーとして能力を十分に発揮する必要がある。自分がプレーヤーになると、自分の能力を発揮できるところに面白さが湧き出てくるからです。 セーリングに限らず、自分でプレーする時、プレーヤーでありながら、同時に自分をもてなしていると考えれば、プレーヤーとして能力を発揮する事で、自分をもてなす事ができる。何かを作り上げる人は、能力を十分に発揮できる事で喜びを感じるはずです。観察力に対して、自分の技術が未熟であれば、満足感は無い。だからもっとやろうとします。この観察力と技術力に対して、感じる力が無いと、情熱も湧いてこない。これら三つがやはり必要なのだと思います。そういう意味では、何かを作る人も、セーリングする人も同じかもしれません。 セーリングは遊びではありますが、こうなると単なる遊びとは違います。だからこそ、奥が深くなる。セーリングが奥が深いのでは無く、奥深くまで行くかどうかです。ヨットが2,3年楽しめば、それで良いものであるなら、何もいろんな事を考える必要も無いのかもしれませんが、全ての方々が、いつか、始めて数年も経てば、同じところに居ると飽きてきます。奥に行かざるを得無い。だからこそ10年、20年と楽しむ事ができる。その為には、能力を磨いていくかどうかにかかっているのではないかと思います。 その手始めとして、感覚に集中する事かと思います。味わった感覚を、もっとレベルアップして面白くしようとすると、他の能力をも磨いていかざるを得無い。そういう循環に入ってくかどうかではないかと思います。すると、面白さが違ってくるのではないかと思います。この循環に入るためには、きっかかりとして、まず面白さを味わう必要があります。それが感覚を意識する事で得られるのではないかと思います。 何も、たかがセーリングにそこまで考えなくてもと思うかもしれませんが、でも、何気なくやっている程度では、10年、20年と面白く遊ぶ事はできないのではないかと思う次第です。そうやって10年経過するとどうなっているでしょうか?20年もやり続けるとどうなっているでしょうか?その時どんな感じをセーリングに持っているでしょうか? 遊ぶのも楽じゃない。でも、楽する事が面白いわけじゃない。集中して遊ぶほど、面白さを感じる事は無い。人をもてなすのは、もっと大変ですが、自分をもてなすわけですから、それに比べたら楽なもんです。自分をもてなすには、自分の好みを知る必要があります。ですから、やはり自分の感覚を意識した方が良い。何かを楽しむ時、できるだけ考えないで、感じた方が良い。考える事には、他人の意見も入り込んでいますが、感じている事こそが自分自身ではないかと思います。そういう意味では、人は考える動物では無く、感じる動物という事かもしれません。面白さは感覚として得るものです。 これらをより良く実行するには、やはりシングルハンドが最高の環境になると思います。或いは、同じ価値観を持つ相棒を見つけるかです。もし、それが出来るなら、シングルとは違う面白さも出てくるかと思います。もちろん、シングルはシングルの良さもあります。 そういうセーリングを基軸に、時には友人や家族をもてなす事もアクセントのひとつです。このもてなす方が基軸になりますと、これはもう大変です。余程、頑張らないと2度とは来なくなる。しかも、もてなす方法にもいろいろ工夫、努力が必要です。そんなのは、時々で良いんじゃないでしょうか? 感じる力があって、面白さを少しでも感じ、観察力を発揮して状況を見。より良いセーリングの為に技術を磨く。セーリングは遊びなんですが、そういう追い求める姿勢が要求される。受身の遊びでは無く、積極的な遊びにならないと、10年、20年という時間をもてあましてしまうのではないかと思います。絵を描く、陶芸をする、スポーツをする、自分がプレーヤーである場合は、みんな同じ、受身的では十分に楽しむ事はできないような気がします。求める分だけ楽しめるのではないでしょうか?観戦者になるか、プレーヤーになるか?プレーヤーは能力を必要とする。その能力を身に付けていく過程こそが、面白さではないかと思います観戦者、鑑賞者とは遊び方が違う。 |