第九十九話 御縁
あるオーナーはこの縁を大切にすると言われました。ある程度生きてきますと、世の中理屈ばかりじゃないなと思う事があります。御縁とは偶然の関わりです。縁を大切にするという事は、偶然に何らかの意味があるとみなし、それを大切にするという事だろうと思います。本当のところは解りません。しかし、実際に、偶然によって助かったなんて事はたくさんあります。 意思と偶然がからみあって、ひとつの結果を出す。意思だけではどうにもならないし、偶然だけに期待してもどうにもならない。そういう事だろうと思っています。それで、自分の意思がどこにあるのかと意識しながら、同時に周辺に起こる偶然にも注意を払う。そういう事が必要なのではないかと、最近は思っています。 意思はどこにあるのかと見る自分の意識には、本当は意思が無くて観察しているだけです。テレビを見ますと、毎日、事件が起き、いろんな事を考えます。特に政治なんかですと腹立たしくなったりします。しかし、それだけだと気分が悪いで終わる。でも、それを観察する自分からすると、これからどうなるんだろうという見方になり、腹も立たない。ただ、見ているだけです。これですと気分も悪くはなりません。すると、冷静に見る事ができる。偶然の出来事も同じかと思います。 我々には冷静な観察力が必要なのではなかろうか?全ての始まりは、この冷静な観察力から始めた方が、良いのではないか?何も先入観を持たず、分析もせず、評価を下さず、ただ、冷静に事象を観察する事が必要なのではないか?もし、それが出来たなら、もっと楽に、総合的な判断が出来るのではなかろうか? これはあくまで、御縁(偶然)の作用があるとしての前提ですが、偶然に流れがあるとしたら、そういう作用をも含めないと正しい判断はできないのではないか?何でもかんでも理屈で考えていきますと、何か限界があるような気がします。それに息苦しくなる。 セーリングをしていても同じです。理屈で動かすのがセーリングかもしれませんが、乗っているのは人間ですし、何の為にセーリングしているかと言いますと、楽しむ為です。楽しむという事は実に曖昧で、こうなれば楽しいという絶対的な評価は下せない。よって、ここにも、冷静な観察が必要で、何も考えない観察です。自分の意思と操作とヨットの動き、それに自分の感じを観察し、そしてそれから起こる偶然の変化も観察していく。そうすると、何だか気分は楽になり、トータルとして楽しめるような気がします。いわゆる、セーリングをゲーム化する事ができるような気がします。それはもっと大きく見れば、ヨットライフ全体をゲーム化する事にもなるのではないか? クエスチョンマークを付けています。まだそうとは解らないからですが、そう思いついたので、そう実行してみようと思っただけであります。こうなれば、こうする、ああなれば、ああする、いつも何かを想像しながら、対応の事ばかりを考えますが、うまく行った時は瞬間で、また次が始まる。この繰り返しになります。楽しんでいるようで、その瞬間は短い。そうで無い事の方が多い。本当に楽しむには、余裕が必要ですし、その余裕は気持ちの問題。自分の気持ちが事象と同じレベルでは、一喜一憂するしか無いわけですが、それではゲームにならないので、右往左往するだけになります。 そこで、風が吹く時も、吹かない時も、対応はしつつ、冷静なる観察をする事で、その観察者は全体をゲームとし、遊ぶ事ができるのではなかろうか?そういう風に考えたわけです。何故なら、意思を持たない時、偏った見方はしませんから、全体を見渡す事ができる。理屈も偶然も見る事ができる。楽しまなきゃ損です。 本当に常に楽しむ為にはどうしたら良いのか?何をやっても、良い時、悪い時があり、その時々で気分は上がったり、下がったり。冷静に考えると、良い時の方が少ない。それでどうやってトータルで楽しいと言えるのか?そういう事を考えますと、自分がもう一段上のレベルに居る事が必要で、うまくいかない時も、笑って見る事ができなければならない。セーリングに出ても、今日は良かった、悪かった等々。本当に良い風が吹いて、気持ちの良いセーリングは少ない。そういうレベルでどうやって、セーリングは楽しいと言えるでしょう。まやかしに過ぎないのかもしれません。 ならば、対応の仕方を変えるしか無い。良い悪いを評価する癖がありますが、それを越えた観察するという行為が、ひょっとしたら、全体を見渡して、楽しむきっかかりになるのではなかろうか? 本当に楽しめるのは、観察者ではなかろうか?できる事はいろいろ操作して、後は、どうなっていくかを観察する。冷静に観察するという事は、ひとつ操作の上に居る事ではないか、という気がしています。もし、そうなら、いつも観察できるようになれば、何でも楽しめるようになるのでは??? ひょっとしたら、これは最大のソフトではないか?ハードはたくさんあるものの、いかにそれを楽しむかのソフトが無い。これは楽しむ為のソフト。かな????良い事も悪い事も必ずある。それを全部楽しむには??? 良い事は誰でも楽しめます。問題は悪い時です。悪い時をも楽しめるなら、こんな良い事は無い。果たしてそんな事ができるのか??????今の時点での答えは、観察する事ではないかと思います。明日はまた解りませんが。 ヨットをいかに楽しむかを考えて、いろいろ考えてきた結果です。正解はどこにも無い。という事は正解が無いのですから、不正解も無い。全ては考え方次第という事になります。でも、観察していますと、何となく、少し楽になってくるのは実感です。吹く時は吹くように、吹かない時は吹かないように、どっちも楽しめるようになれれば最高です。気楽に、気楽に!なるようになるなら、どうなるかを楽しむようにした方が良いのではないかと思います。 |